「感情」という名の悪魔

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最近「オクトー」というタイトルの連ドラが始まった。副題に「感情捜査官」とある。
このところブームの刑事ものの一種か?
それにしても「オクトー」って何?

ちょっと興味を引かれて観てみたら、これが存外面白い。土台になっているのがどうやら心理学の理論らしい。
プルチックというアメリカの心理学者の提唱した「感情の輪」。
色に赤・青・黄の三原色があるように、感情にも基本感情がある。
喜び・信頼・恐れ・驚き・悲しみ・嫌悪・怒り・期待の8つ。オクトー(octo)とは、ラテン語で8の意味だという。

原色を混ぜ合わせれば無数の色がつくれるように、基本感情が混ざり合うと多種多様な感情が生まれる。
「感情捜査官」なる主人公は、その感情を色で見分ける特殊能力を持ち、8つの感情が色分けされて輪になった表をもとに、被疑者の目から放たれる色で感情を推察する。
確かに犯罪と感情には強い相関がある。こんな捜査官が現実にいたら面白かろう。

まあ、これはドラマのなかの話だけれど、
「感情」といえば、当方がずっと取り組んできた交流分析(TA)の重要課題でもある。
エリック・バーンは、幼児期の環境のせいですり替えられてしまった「偽物の」感情を「ラケット」と呼んだ。
「ラケット」とは、マフィアの用語で「だまし」とか「「インチキ」という意味らしい。
子どもは親とか社会とかの周囲の環境が求めるままに、本来の感情をさっと隠してすり替える。
丁半博打のいかさま賭博師が、つぼ振りの瞬間にさいころをすり替えるように。
マフィアやばくち打ちと違うのは、すり替えた当人が全くそれに気づいていないことだ。

例えば「男の子はめそめそするな」とか、「女の子はおしとやかにするものよ」などと言われながら
育った子どもは、その都度本来とは違う感情を瞬時に引き込むようになる。
悲しみの替わりに怒りを、喜びの替わりに恐れを。
そしてその代替感情を、まるで本来感じた感情であるかのようにリアルに感じる。
このようにして、それぞれのラケット感情を根づかせていく。

ラケット感情は、プルチックの「感情の輪」理論が示すように数限りなくある。
寂しさ、孤独感、焦り、倦怠感、無力感、嫉妬、羨望、嫌悪、憂うつ、高揚感、優越感、哀切、痛痒、絶望感、当惑、罪悪感、憎悪、苛立ち、etc.etc…
それでは、プルチック理論の「基本感情」に相当するのは、TA理論では何だろうか?
いわゆる「本物の(authentic)感情」というやつである。
TAではそれは4つに限定している。
怒り、悲しみ、おびえ、喜びの4つである。
プルチック基本感情と見事にダブってはいるが、その半分である。

TAの「本物の感情」は、その名称だけではラケット感情と区別がつかない。
「怒り」も「悲しみ」も「おびえ」も、「喜び」でさえラケットであり得るからだ。
「本物の感情」を見分けるには、その特質まで見定める必要がある。
その特質とは、その感情が「課題解決のために役立つ可能性があるか否か」である。

例えば怒りについて、バーンはその殆どがラケットだと指摘しているが、「本物の怒り」をラケットから区別するのは、怒りの源泉である現在の状況を解決するのに役立つ行動につながる見込みがあるかどうか、だ。
(必ず解決するか、ではない。あくまで可能性の有無である)。
悲しみは過去の辛い出来事を乗り越えるために、そしておびえは、未来の災難の予測から身を守るため、そして喜びは過去から未来に至る幸福感をもたらすために、それぞれ機能することができるのだと言われている。

しかし、である。
人は成長するに従って、authenticな感情などとおの昔に忘れてしまう。
人は幾たびとなく辛いストレスを潜り抜け、思うようにいかない人生に失望し、ときには完膚なきまでに打ちのめされる。
そんな時いつも湧き上がってくるのは、あのなじみ深いラケット感情だ。
だって幼い頃からその中に閉じこもり、何とか現実をやり過ごして来たんだし。
親や周囲に気に入られるよう、一生懸命本当のことから目をそむけて来たんだし。

そうやって段々に強化されるラケット感情。
例えば寂しさ、例えば倦怠、例えば嫌悪。
身動きできぬほど心が縛られれば自分を失くし常軌を逸する。。
例えば怒り、例えば憎悪、例えば絶望。
どうにも押さえきれぬほど激しい衝動に巻き込まれれば犯罪につながる。

げに感情は時に魔物、時に陥穽。
「感情捜査官」の出番はドラマだけにしておきたい。(S.K)

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