「自己分析」再考

「自己分析」という言葉はよく聞かれる。
CSNでも「自己分析とコミュニケーション」と
題する講座を開催していたこともあった。
進学や就職などの進路決定にも自己を分析して
臨むことは必須と言われている。

 いかに行動するかを決定するためには
自分を知らなければならない。しかし自分に
ついては、知っているようで本当のところは
よく分かっていない。そこで心理テストや
性格テストを行って、自分の傾向や特徴を
明確化しようとする。

 「自己分析」などというと何か特別に
難しいことをしている気にもなるが、そんな
こともない。要するに自分がどんな感情に
やられやすく、それ故どんな考えを持ちやすく
そして、何に引っ張られて行動しやすいか
ということを、冷徹非情に追究していけば
いいのである。だが、この「冷徹非情」と
いうのが結構難問なのだ。

 人間どうしても自分に甘い。
自分をとことん切り刻むのは苦手である。
しかし一流のアスリートや勝負師はあえて
それに挑む。

 米国の天才チェス少年と言われた
ジョッシュ・ウェイツキンは、「自分は
局面が大きく変わるときにミスをしやすい」
などといった自己分析を駆使して厳しい戦いを
勝ち抜いた。太極拳をやり始めてからは、
「反則を繰り返す相手への自分の苛立ちの根本
には、反則のダメージへの恐怖がある」のだと
自らの心の底を見定める。ウェイツキンは
対処法を徹底して練習し、その弱点を克服した
という。

 そんな話を読んでつらつらと考える。
私の心の底を「冷徹非情」に眺めれば、
カーッと頭に血がのぼるような激高や、
底なしの沼に引き入れられるような絶望、
といったマグマのような感情が、常にその
深奥でぶくぶくと泡立っている。こうした
マグマをハラワタひっくり返して俎上にのせ、
間近に見据えるにはかなりのエネルギーが必要だ。

 だが、日常に沸き起こる感情の断片に容易に
足元を掬われないためには、そのくらいの
「冷徹非情」な自己分析の覚悟がいる。本気で
取り組もうとするならば、その辺のセミナー
なんかで扱えるほど生易しいものじゃない。

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