日常の崩壊はビルドで防げ!

 芥川賞の2作を読んだ。
今回は又吉直樹氏の『火花』が
何かと話題だが、私はどちらかというと
羽田圭介氏の『スクラップ・アンド・ビルド』
の方を面白く読んだ。

 生きる気力をなくし寝たきり同然に
なっている祖父が、口癖のように言う
「死にたい…」という言葉を、介護を
している孫が至れりつくセリの世話を
してやることで叶えようとし、自分は
おじいちゃんのようにならないために
苛烈な筋トレに励み身体を鍛えまくる。
祖父を日々「スクラップ」化し、自分を
ひたすら「ビルド」するのである。

 評者のなかには、主人公の健斗を
幼稚だという人もいるけれど、まあ見方に
よっちゃ確かに幼稚かもしんないけど、
この心情分かるのよね。介護を経験した
人なら結構こういう心境になるんじゃ
ないかしら。かくいう私もかつて母の
介護で覚えがある。私の場合は「スクラップ」
じゃなく「ビルド」だけど。

 母は異様に筋肉が弱くて、老年になると
自らの内臓を支えきれずに、子宮や腸が
体外に出てきてしまうという事態に見舞われた。
母もこの小説のおじいちゃんのように
「こんなになってしまってもう死にたい」と
よく言っていた。哀れったらしく、そして
押しつけがましく、いつも本当にイライラ
させられた。内臓に疾患があるわけじゃなく、
たかだか筋肉の問題じゃないか。自分の
筋肉くらい自分で何とかしておけ!、と
私は胸中で毒づいた。

 母はほゞ自動的にスクラップ化したが、
それからというもの、私はジョギングと
筋トレに励みまくった。老人は筋肉が勝負
なのである。だから健斗がビルドに励むのは
とてもよく理解できる。「死にたい」を
真に受けるのだって幼稚だというのだろうが、
真に受けて対処するのも一法。イライラして
介護殺人とかしちゃうのとどっちが幼稚か?

 羽田氏は「受賞のことば」のなかで「印象を
よくするため、ひとつの流れへ収束される言葉を
記すくらいなら、“世間から求められる言葉を
言わなくてもいい自由さ”があることを、ここで
提示したい」と言っている。作品の中の一節に
「凝り固まったヒューマニズムの、多数派の意見
からはずれたくないとする保身の豚」という
表現があり、気に入ってマーキングしてしまった。
私も結構幼稚よね~フフ

 最後に男Nへ─「唐突に崩壊する日常」って
テーマにして書いたら芥川賞とれるかもよ。
お笑い芸人ならぬ本物ニートの初受賞─って
いいじゃん!

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