先日わざわざ映画館に「アナ雪」を観に出かけ
余りの失望感に打ちのめされてからというもの、専ら
ツタヤの「宅配レンタル無料お試しキャンペーン」で
DVDを借りまくって「おうち映画」していたのだけれど、
何故かここにきて夫が「マンデラ」を観たいと言いだし
またもや映画館を訪れてしまった。
「マンデラ」とはかの有名なネルソン・マンデラ氏の
ことなのは言わずもがな。「自由への長い道」という
副題がついて、いかにもべたっぽいので私は余り食指が
動かなかったけど、まあ、「アナ雪」つき合せちゃった
負い目もあったので今回は私の方がつき合うことにした。
さすがに「アナ雪」みたいに途中でリタイアする
ようなことはなかったし、まあ、みごたえもあるっちゃ
ある。あるんだけど…どうも私は映画の割合初めの方の
シーンで引っかかってしまい、後はそのことが頭から
離れずすっきりしない後味が残ったのである。
そのシーンとは、マンデラの最初の結婚のエピソード
である。マンデラは取り巻きの若い娘と浮気をして妻に
それを咎められ、思春期の息子とまだ幼い娘の面前で
大げんかをして、「もう君とは一緒に暮らせない」と
捨て台詞を残しさっさと出ていってしまうのである。
何たる無責任!
その後息子が彼を訪ねてくる場面はあるが、
マンデラはすぐにまた若い美人のキャリアウーマンと
結婚し、それからは最初の妻に触れた描写はつゆほども
ない。彼女たち一家の面倒を見たというような気配もない。
これが「偉大なる人権主義者」のすることか?
何年も後に、ロベン島に収監中のマンデラが、
看守の差し入れた新聞記事の切り抜きで、息子が
交通事故で死んだことを知り、嘆く場面がある。
しかし「母親である最初の妻はどうしているだろう」
と思いやる場面はない。その後もずっと二番目の妻、
ウィニーとその子供たちの消息ばかりが描かれる。
妻は過激な闘士に変貌し、娘もその影響を受けて成長する。
そして長い収監期間の後解放されたマンデラとウィニーの
間には、もう修復できないほどの溝ができてしまった。
結局マンデラはウィニーとも離婚、何と80歳にして
3度目の結婚をするのだが、それは映画では描かれて
いない。彼はおそらく老いの身を独りでは律しきれず、
死ぬまで女を要したのであろう。それは多分、
「あんたは一族の男の役目を果たしていない」と
若き日の彼を非難した母親に、遂にその後会って
承認されることなく一生を過ごしたからであろう。
彼は生涯、その母親の呪縛から逃れることが
できなかった。どんなに偉業を成し遂げてもである。
最初の妻をはじめとして、二番目の妻とも
心を通じあわせることができなかったマンデラ。
その無意識が母親の代わりとして承認してくれる女を
求める限り、彼女の心は彼の指の間からこぼれ落ちる。
そして次々と女を求めては捨てていく。
勇気と忍耐と感動の物語の下に見事に覆い隠された
「マンデラの脚本」。その覆い隠されっぷりが
何とも引っかかるのである。
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