「恋愛」シリーズもはや第4回に突入です。今回は「文学のなかに見る恋愛」というまたまた高尚にして深淵なテーマでお贈りしちゃいます。
「恋愛」というテーマで思い浮かぶ文学作品と言えば、私の場合は何と言っても「風と共に去りぬ」ですね。高校時代に大ヒットして、女子校だったので、恋愛相手に選ぶならレッドバトラーかアシュレかという大論争が巻き起こったことを覚えています。クラスが「バトラー派」と「アシュレ派」にほぼ2分されましたね。私は…?といえば、そりゃぁ絶対「バトラー派」。
何故スカーレットがアシュレみたいなつまんない男にあれだけ恋情を燃やすのか、当時の私にはどうしても解せなかった。でも「アシュレ派」の面々は異口同音に「穏やかで知性的なところがすてき」とか「信頼できる人柄がいい」とか言う。それってただ臆病なだけじゃない、って私は思ってた。スカーレットの激しい情熱を受け止めきれずに逃げただけよ。男の風上にもおけない。坊ちゃん育ちでひ弱くて、最後はスカーレットに助けられて、それでも妻は裏切れず、うわ最低!とまぁ、「バトラー派」の急先鋒だった私はアシュレを罵倒しまくり、その頃からもう投影ばりばり、「エロス先行型」の片鱗はしっかり見せていたのでした。
それに引き替えバトラーの何とかっこいいこと!クールでしたたかでそのうえセクシャル。包容力はあるし金持ちだし言うことないじゃん。スカーレットはバカよね、こんないい男を振ってアシュレみたいな奴に執着するから何もかも台無しになっちゃうのよ。あゝもったいない!
たかだか小説一つで大騒ぎ。それもクラス全員がスカーレット気分というのも今思えば噴飯ものですが、「恋愛」というのはあの頃の私たちにとってもそれだけ関心のあるテーマだったのですね。マーガレットミッチェルはスカーレットを軸に対照的な二人の男を描いてみせた。今分析してみると、スカーレットは非常にエロス的な女性だったのでしょうが、南部の因習的な環境の中で育てられたせいでそれをあからさまには表現できなかった。「エロス隠蔽型」にならざるをえなかったのだと思います。アシュレは「抑圧型」、バトラーは「先行型」でしょう。
道徳とか宗教とかの価値観に縛られたアシュレは、妻に死なれ、最後は結局身体をこわしてスカーレットの看病を受けるのですが、これが彼のなかに抑圧された「エロス」の反乱なのかもしれません。エロスは押さえつけるとその人の弱いところを狙って直撃します。アシュレの場合はきっと「身体」だったのですね。スカーレットはバトラーとの「逃げつ追われつ」の恋愛ごっこで捕まえられ、バトラーは彼女の全てが自分のものにならないことに絶望する。3者3様の悲恋ですね。まさに「思うようにいかない」恋愛の典型と言えます。
こんな熱い(?)思春期を経て後、振り返れば私もずいぶんとつまらない男に惚れては冷め…の繰り返し。実際に恋愛してみるとスカーレットのことを「バカみたい」などと言えないことに気づくのですね。投影すればアシュレもバトラー、臆病さを隠すための突っ張りは頼もしさに、優柔不断のいいかっこしいは思慮深さに、隠し持った劣等感は陰影の深さに、もうその人の全てが幻惑的な魅力へと変貌する。何せ「エロス先行型」なので。
何年か前に「風と共に去りぬ」を読み返してみたのですが、さすがに高校生のときほどは興奮しませんでした。スカーレットがアシュレに執着し続ける「心のからくり」も今なら分かりますしね。でも何もかも失ってぼろぼろになったスカーレットが最後に叫ぶ言葉「Tomorrow is another day!」は今でも大好きです。「明日は明日の風が吹く」というのも名訳ですね。失恋するごとにその言葉を胸のなかで呟いていた気がします。
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