ココロのおウチ

 ココロのおウチは人によって素材も形もさまざまです。
堅牢な石造りだったり、風通しのいい木造だったり、吹けば飛ぶよな
プレハブ造り、すぐに浸水する泥のおウチなどなど。
ドアや窓が大きく外に開かれているおウチもあれば、殆ど締切りのもある。
周りに高い石塀を廻らせていたり、こけおどしみたいな鉄扉があったり、
でもたまには、低い生垣から広々としたお庭が見渡せるようなおウチもあります。
 ココロのおウチには、誰でも3つのお部屋を持っています。
でも最初は1つしかありません。
「子ども」のお部屋です。
ここにはいろんな感情がぎっしり詰まっています。
怒りや恐怖、喜びや悲しみ、現実の子どもの持っている
原始的な感情と、それから派生したあらゆる感情のお部屋です。
 次に「親」のお部屋ができます。
ここには現実の親や周囲の大人たちから受け取った「価値観」の数々が
丸ごと入ります。その人たちの持っていた「子ども」の感情も丸ごと
ここに入ります。このお部屋からあふれ出した感情は、形を変えて
「子ども」のお部屋に押し込まれることもあります。
 最後に出来るのが「大人」のお部屋です。
このお部屋がしっかりつくられてくると、「子ども」や「親」の
お部屋から必要なものを取捨選択して、どのお部屋も居心地良く
整えられます。大人の叡智の力はどのお部屋にも及びます。
 3つのお部屋は本来自由に出入りができます。
「親」の価値観は、ときに「子ども」の奔放さとぶつかりますが、
「大人」がそれを制御したり、解き放ったりしてその葛藤を治めます。
そしていつも安定した居心地のよい環境を守ります。
 しかし、そううまくいくことはあまりありません。
なぜなら、ココロのおウチは常に過酷な外界に晒されているからです。
ときに嵐が吹き荒れたり、大雨に打たれたり、大地震に襲われたり。
その度に「子ども」は泣き叫び、「親」は防壁を打ち立てて外界を遮断し、
「大人」はなす術もなく自らお部屋に閉じこもってしまいます。
 「親」は泣き叫ぶ「子ども」を部屋に閉じ込め鍵をかけてしまいます。
閉じ込められた「子ども」はいつか英気を失い、そのまま動かなくなってしまうか、
恨みと怒りをじっと堪えて爆発する機会を窺うことになります。
「親」が目を放した隙に、「子ども」はドアを打ち破って外に飛び出してこようと
暴れまわります。
 カウンセリングのなかで、そんなココロのおウチの危機にこの頃よく出会います。
「大人」さえ働き出せば、嵐も大雨もちゃんと凌げるし、大地震の後始末も
きちんとできるというのに。
「大人」にはそうした力が十分備わっているのですから。
 それに、それほど大したことではなくても、「子ども」は実際の何倍もの恐怖を
感じてしまうものなのです。
そんなとき「子ども」は魔法の世界に逃げ込んだり、何も感じないようにして
身を守ったりします。それは「子ども」の精一杯の保身なのです。
 そんな「子ども」が本来の活力を取り戻すためには、是非とも「大人」の
力が必要です。「親」が懸命に築いた防壁を崩し、お部屋のドアを開け放ち、
「子ども」が安心して自由に動ける環境をつくらなければなりません。
思い切った挑戦を助けるのも、危険な暴走を留めるのも「大人」の力です。
 そういえば、「ココロのおウチ」全体の建て直しを随分前に始めた人も
いましたっけ。
恐がりな「子ども」が暴れだして、途中で工事が止まっちゃったことも
あったりしたみたいだけど、進み具合は今どんなもんでしょうか。
順調な落成を祈っています。
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