時代遅れ

 この間NHKの衛生放送で本当に久しぶりに
ダスティン・ホフマン主演の映画「卒業」を観ました。
サイモンとガーファンクルの懐かしい音楽が全篇を
通して流れ、何とも言えない郷愁に誘われました。
 最後に、ダスティン・ホフマン扮する主人公の若者
ベンジャミンが恋人の結婚式に乗り込んでいって
花嫁を奪い返して逃げるという有名なシーンがありますが、
当時は親に妨害されると結婚式当日になるまで
本人同士の連絡がとれないという時代背景が、
この名シーンを成り立たせている大きな要素です。
今だったら携帯でいくらでも連絡を取り合い、
事前に行動できるでしょうからね。
 ベンジャミンは、式場を探し当てるために、当日
いろいろなところへ電話をかけまくるのですが、
それもアナログなダイヤル電話。番号を探すために
分厚い電話帳と格闘するシーンが出てきます。
いやぁ、昔は恋をするのも大変でしたね。
思わず自分に重ね合わせてしまうかなりん。
しかし恋というのは、障害が大きいほど燃え上がる
ものだ、という法則からいけば、彼の常軌を逸した
行動も頷けるというものです。
 日本でも昔は親に反対された恋人同士が、
その恋を成就させるために、手に手をとって
しがらみから逃げ出す「駆け落ち」という手段が
存在しました。その「駆け落ち」に憧れて、全く
障害のないだらけきった関係に、「恋」のめくるめく
激情を呼び起こそうと奮闘する男女を至極滑稽に描いた、
つかこうへいの「青春かけおち篇」が、大竹しのぶと
風間杜夫の主演で映画となり、1987年に公開されて
います。当時はまだ携帯電話こそ普及していなかった
ものの、恋における障害はもうどんどんなくなりつつ
あったのでしょう。
 全く歌の文句じゃないけれど、「変わる、変わるよ
時代は変わる・・・」ですね。カウンセリングの世界でも、
私が勉強していた頃のロジャーズ一辺倒の風潮は
どんどん薄れて、今は認知行動的な療法が盛んに
なりつつあります。それにつれて「援助」のあり方も
「ハウツー」を主体にしたより具体的なものになって
いきつつある感じがします。
 一昔前はあちこちでよく行われていた
「エンカウンターグループ」も、「衰退した」と言われて
久しい今日この頃。特に「ベーシック」と呼ばれる枠のない
形式のものは、殆ど行われていないようです。
CSNでもとうとう今年度は開催しませんでした。
メンバーの何人かからは「来年度はやろう」という声が
あがっていますが、さてどうしようか検討中です。
 「衰退する」というのは、時代の需要に合わなくなった
ということでしょう。ときには苦しい思いをしながらでも
自分の内面に向き合い、他者の存在を丸ごと感じる
ような体験は、なるべくなら避けて通りたいような
ものかもしれません。「人と向き合う」ということは、
引いては「自分と向き合う」ということであり、それは
かなりしんどい道のりを伴います。それにそんなこと
したって何が解決するというわけじゃなし、目に見える
成果が得られるわけでもありません。
 ありませんが、しかし・・・です。
「やはりそういうことを避けて通ってどうする」
という思いも一方にはあるのです。
「全存在を賭けて人と向き合いたい」という欲求は、
誰しもの心深くにはある筈です。
「卒業」の恋物語のエンディングがいかに荒唐無稽に
感じられようと、「駆け落ち」への憧れが結局は
滑稽な空回りに終わってしまおうと、時代の波が
浚いきれない「何か」はいつの時代にも必ず存在する
のだと、それだけは忘れずにいたいと思います。
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