先週末、ひょんな事から長野の友人に逢いに出かけた。
約5年ぶりの再会で、小諸駅に迎えに来てくれた彼女の顔を車の窓越しに見るや否や、
懐かしさが込み上げた。
変わらないな~!という私の彼女に対する印象は単なる外見では無く、私が彼女に期
待するところの人間象の様なものに対しての思いだった。
変わらない印象が嬉しかった。
私が誇りに思う友人の一人だ。
私と彼女は、約5年間同じ職場の同僚だった。
私を個性的な非常識人と言うなら、彼女は個性的な常識人と言える感じの人だった。
そんな彼女は長野の病院で技師長を務め、家庭と職場の両立を立派に果たした。
その苦労は彼女のきりっとした表情を見れば、脈々と伝わって来る。
友人は土曜日が仕事だと私は知っていたので、少し顔を見て話せれば、それで十分だと
安易に考えながら、彼女の住所に近いホテルを予約してあった。
仕事を終えた後、自宅に帰る途中、車で駅に迎えに来てくれた。
私の顔を見るなり彼女は「何でこのホテルなの?どうして?因りによってなんで?」と
畳込むように聞いてきた。
聞かれた私はポカンとしながら「えっ?ネットで調べたら偶々、あなたの住所に近いホ
テルが1室だけ残っていたから。」と、答えた。何故そんなに不思議がるのだろうと思
いながら。
「いつも、やる事が急で驚くんだけど、あのホテルは家から歩いて行ける距離なのよ。
しかも美味しい居酒屋が有って飲んでも車は気にしなくていいし。同じ住所だと言って
も広いこの土地には他にも一杯、ホテルは有るのに・・。偶然にしては凄い!」
なるほど!それは凄い!お陰で、近くの温泉に行く余裕と居酒屋でお酒を飲みながら、
ゆっくり昔話に浸る余裕ができた。
話は次から次と絶え間がなく懐かしい話ばかりだったが山場は宗教の話だった。
実を言うと彼女ともう一人の友人を入れ3人でカナダに旅行しようと大学病院に就職し
て3年目頃に約束した。
そしてカナダ行きの旅程も決まり、お金を払い込む段階で私だけがキャンセルした。
何と、お金を払い込む前日に、ある宗教団体の人と私一人だけが出会ってしまった。
当時、私は病院に居ながら、死生観に対する疑問の答えが見つからず迷いに迷っていた。
その隙間に哲学という名を借りた新興宗教が入りこみ、すっかり友人の忠告は耳に入ら
なかった。
その結果、二人の友人はカナダに一週間行き、私は宗教団体の虜になった。
半年間、キリスト教と東洋思想の入り混じった宗教に興じたが、ある種の危険性をはら
んだ団体だと気付き、団体と縁を切るまでには大変な葛藤が有った。
そんな経緯を知りながらも変わらぬ目で接してくれた友人達に大感謝の思いだ。
そして懲りない私はあれやこれやと宗教を渡り歩き、ついに去年、もう宗教は卒業しよう。
と、思い至った。
長野の友人は、いつも私が考えては立ち止まり、又考えては悩みする、その姿を黙って
見守ってくれた。そして自分は友人や周りの人に恵まれたと。私に向かって話してくれた。
その言葉がジーンと胸にしみた。
西洋哲学を勉強するには20代では無理があったのかも知れない。
興味が有るというだけで哲学書を読んでもサッパリ理解できなかった。
ついには哲学なんてものは人間の理解の範疇にはないシロモノだと決めつけた。
随分長い間、ご無沙汰していた哲学を又、覗いて観ようと思いなおしたのは、今年の4月、
爆笑問題が取り上げた、木田元のインタビューだった。「この歳でやっと見えてきた。
ハイデッガーの論文を書くために33年費やした・・。」という、その言葉が新鮮だった。
その時は木田元のヤミ市で生計を立てながら哲学を勉強したという破天荒な経歴に非常に
興味を覚えた。
必然的偶然からか近々CSNで木田元の「反哲学入門」を題材に勉強会が開かれると聞いて、
胸を躍らせている。
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