何故かすんなり計画停電が終了しています。やっぱり、計画停電は
東電・政府の原発PR事業だったのか、と思うくらいに。ところど
ころ空きはありますが、コンビニの棚も埋まってきており、24時間
営業も復活しつつあります。
原発問題・余震への不安による外国人アーティストの来日キャンセ
ルは続いているものの、劇場・音楽会も再開しています。この週末
は3カ月ぶりに生舞台のバレエ♪でした。たまたま公演がない時期
に地震が発生し、3月末の公演がキャンセル(T_T)され、シーズン
オフのようなバレエ日照り。長かった・・・。当初のゲストから代役
に来日してくれたダンサーたちのパフォーマンスも想像以上に素晴ら
しく、日本人ダンサーたちも良かったし、ホント幸せでした。
また電車の運航も東京近辺ではほぼ落ち着いてきたし、日常が戻って
きつつある感じがしたら・・、今朝久しぶりの人身事故の掲示が!
戻ってくるのはいいことばかりではないんですね・・・・。
そういえば福島の原発はどうなるんでしょうか。津波は天災ですが、
原発問題は人災でしょう。やはり。それなりの準備をしておけば、
ここまで酷いことにはならなかったろうし、起きたとしても別の
対処ができたはずでしょうから。でも、我々は騙されていたのか??
騙されていた、としてもそれは免罪になることではないと思います。
第二次大戦敗戦後、映画監督の伊丹万作が書いた「戦争責任者の
問題」は今でも有効です。有効であるようなことは起きない方が
もちろんいいのですが。一部は結構有名ですね。抜粋しておきます。
全文はリンク先でご覧下さい。
だまされたということは、不正者による被害を意味するが、
しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決し
て書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任
から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている
人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだ
けにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自
体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半
分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から
「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに
知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされる
ということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこと
とは、されていないのである。