度し難きもの

 かなり前のことになりますが、テレ朝で「朝まで生テレビ」
という番組があり(今でもある?)、どういうテーマか忘れて
しまいましたが、そのなかで、ある韓国の評論家か何かが、
歴史上の自国に対する日本の行為を激しく批判する意見を
述べたとき、映画監督の大島渚氏が「そういう意見はもう
聞き飽きたんだよ!」と言い放ったことがありました。
その評論家は一瞬絶句し、続けて反論しようとしたのを、
大島氏が「ルサンチマンはもう沢山だ。どれだけ繰り返しても
不毛なだけだ」と切って捨てたのを覚えています。
 大島監督といえば、かの「小松川事件」を題材にした
「絞死刑」という作品があります。その他日本ヌーベルバーグ
の楚ともいえる「青春残酷物語」、政治的理由で上映中止に
なった「日本の夜と霧」など、前衛的かつ過激な作風で知られて
います。その監督の口から些か乱暴な口調で発せられた
「飽きたんだよ!」の言葉は、いかにも衝撃的でした。
 その番組よりもっと前のことになりますが、私はカウンセリング
の勉強を始めてまだ2年目くらいの夏に、通いで終日4日間の
エンカウンターグループに参加しました。心理学者としても、
カウンセラーとしても著名なK氏がファシリテーターを務める
グループで、20名余りの参加者がありました。
 その頃私は、「母親との確執」という自分の問題と格闘し始めた
時期で、あちこちでそのテーマを話しまくっていました。そのグループ
でも2日目にその話をしました。私が話し終えると、あるメンバーが
「そんな大変なことを、そんなに流暢に淡々と話せるなんて信じられない」
と発言しました。間髪入れずに私は「この話、あんまり何回も話したから、
もう飽きちゃった!」と投げ出すように言いました。別に考えて言った
わけではなく、ワッと身体から出てきたような感じでした。それを聞いた
ファシリのK氏が、「話しているときにあんなに近くに感じられたSさん
(私のこと)が、今の言葉で何だか遠くへ行ってしまった気がする」と
介入してきました。私は生意気にも「それはあなた自身の問題でしょう?
私には関係ないわ」と切って捨て、K氏は黙り込んでしまいました。
 私はあのとき自分自身の不毛なルサンチマンを切り捨てようとした
のだと思います。勿論そんなにすっきりとうまくいくわけはなく、その後も
かなりの年月に渡って悪戦苦闘が続きました。「度し難きはルサンチマン」
何度もそんな思いをかみしめたものです。
 そして今、私は「そのルサンチマンごと私を受け入れる」という境地を
手に入れたように感じています。先日の「キャリアサポーター養成講座」で
高瀬講師が、「本当にこのルサンチマンて奴は根強いからね」と言い、
「切り捨てるのではなく、受け入れる」ということの大事さを受講生諸氏に
説いていましたが、まことにその通りだと思います。
 大島監督のあの発言も、実のところは自分自身のルサンチマンに
向けられていたのかもしれません。重ねた年月のなかで氏がそれを
「受け入れる」境地に至ったかどうかは知る由もありませんが、「一時
に比して輝きを失った」という評もある後年の作品群からは、何となく
氏の心境の変化が感じ取れるような気もします。
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