私たちの失敗

 前回のブログで「未婚率を紅白の視聴率なみに」と書いたら、
例の「婚活」の本をくださった会員のIさんから、「そんなに一人暮らしが
増えたら、経済のパイが足りなくなって食べられなくなっちゃいますよ」
と意見されてしまいました。私が「そんなこと知ったこっちゃないもん!」
と言ったら、「かなりんさんの世代は自分たちが強いのをいいことに
そんなことばかり言ってるから嫌われるんです!」と重ねてお叱りを
受けちゃいました。因みにそのIさんは40代のシングルです。
 そうか!私は格別自分が強いとも思ってはいないけれど、
「若い世代は何で戦おうとしないんだろう」と不思議に思っていた。
パイが小さかったら何が何でも前に出て分捕るか、それじゃなきゃ
自分でつくっちゃえって思ってた。Iさん曰く「今はそんなハングリーな
時代じゃないんです」。なるほど。
 そこでまた彼女が新たにもってきてくれた本の山の中から一冊を
取り出して読んでみました。荷宮和子著「何故フェミニズムは没落したのか」
(中公新書ラクレ)です。著者はIさんと同世代で、自らを「くびれの世代」と
呼んでいます。なぜ「くびれ」なのかというと、著者の属する80年世代は、
「団塊の世代」と「団塊ジュニアの世代」というマス世代の間に辛うじて
存在する少数派だからなんだそうです。
 この本によると、女にとっての80年代とは、「解放と希望がある
かのように思えた時代」であり、それまでは男だけが独占してきた
「欲しいものは何だって自分で稼ぎゃ手に入る」という実感を、
「働きさえすれば女も持てるんだ」ということに初めて気づいた
世代なんですね。雑誌は「アンアン」、世代を牽引するのはかの
輝かしき旗手、林真理子女史であります。
 ですからこの本にはあの懐かしき「アグネス論争」のことも
書かれております。男社会では「あいつはばかだ」で済まされる
ような輩のことを、フェミニストたちがまるで「女はばかだ」と
言われたかのようによってたかって擁護したがために、
段々分が悪くなっていた男たちの「女の喧嘩」願望に図らずも
加担してしまった結果となり、「ばかな女のばかな発言」が
もっともらしく取り上げられ、「あいつはばかだ」と発言した
林真理子だけが一方的に叩かれることになったのである、と
分析されております。
 実は私も「あいつはばかだ」と思っていた一人です。そこに
何故か知らぬがフェミニズムの大御所上野千鶴子が介入し、
事は一気にフェミニズム論争に発展した、という経緯がありました。
 そういえばそのもっと昔、上野女史が朝日新聞に書いてた
学生運動に関するエッセイを、曽野綾子氏に「戦争を体験した
身から言わせれば、所詮学生運動なんていいとこの坊ちゃん
嬢ちゃんの戦争ごっこ」と一蹴され、あげくに「私はフェミニズムは
きらい」と言われて、論争になったことがありました。その時は
「これは女が喧嘩するのを見て喜ぶ男が仕掛けた陰謀だ」と
言っていた上野女史なのに、自分が同じことしてちゃあかんでしょう、
と同世代の私だって思います。
 なのにそんなことは意にも介さず、しれっと「お一人様の老後、万歳!」
なんて言われちゃあ、Iさんならずとも「これだから団塊以前の世代って
やなのよね」と眉顰められてもしゃーないですね。
 そのうえこともあろうにその「ばか」が、婦人公論の誌上で曽野氏を
批判するようなことを書き、曽野氏が「あいつはばかだ」と的確に指摘し、
林真理子がそれにいたく共感する文章を寄せたというようなことも
あったっけ。
 あれっ、この出来事の中で、私たちの世代って見事にスルーされて
ない?曽野綾子という戦中世代が林のようなアンアン世代の共感を
得ることができるというのに、上野は「魅力のないこわいオバハン」
という印象しか残さない。これじゃフェミニズムが「没落」するのも
むべなるかな、ですね。
 そんな「フェミニズムの没落」なんぞどこ吹く風で、未だ意気軒昂な
上野女史がいくら「お一人さまは怖くない!」と気を吐いても、後の
世代が続かないのは、せっかく出てきたFCの芽をCPがつぶしちゃった
からじゃないのか、とこれを読んでそう思いました。
 「仕事も結婚も子どももぜ~んぶ欲しいものはゲットしちゃうんだもん」と、
アンアンを買ってルンルンしてた80年世代に、「欲しいものを追いかける
のはいいけど、腰据えて戦いもしないあんたたちの手に入れたものって
結局はちっとも価値のないものばっかりでしょ?」と言って憚らない団塊
フェミニストのCPが、ACだらけの今の世代を生むのに一役かったのかも
しれません。
 だってこの本を読むと、80年世代というのは、「風邪をひいたときは
一人暮らしをしていてつくづくよかったと思う」世代なんだそうです。
狭い価値観のなかでは窒息しそうになっていた溢れるFCが、
「実家を出たい」というエネルギーとなって、「一人暮らしの不安」を
吹き飛ばしたということのようです。
 今やそんなFCの活力をなくした若者たちは、「年老いてひとりぽっちになったら
どうしよう」という不安に抗いきれずに、「結婚」というできあいの制度にしがみつく。
確かに一人暮らしが増えれば「経済のパイ」はどんどん小さくなっていくでしょう。
しかし、です。「FCの活力をもってすれば、きっとパイはつくれる」と私は言いたい!
「消費社会にうまうまと乗せられて電子マネーなんかコンビニで使ってるくらいなら、
一丁の豆腐でうまいものをつくる技量をもて!」と言いたい。「世代を超えて職を
創出したあの『素人の乱』を見よ!」と言いたい。「自らの内にFCをエスコートする
Aをつくれ!」と言いたい。
 80年世代のFCがCPにつぶされてしまったのは、それがあくまでも感覚の
域を出なかったからです。「今まで夫の稼ぎで買ってもらっていたものを
自分で買う」ということの快感に目覚めたに過ぎません。その頃によく
見られた「ばか高いブランド品を嬉々として買っている女たち」は、上野の
言うように「ちっとも価値のないものを手に入れただけ」と批判されても、
「だって気持ちよければそれでいいんだもん!」としか言い返せずに、
結局は侮蔑の対象になってしまうのです。
 なにを隠そうこの私、昔は「かみそりかなりん」と異名を取った強持ての
フェミニスト崩れでした。まさに「ふわふわルンルン世代」にとっては、
「怖いオバハン」の一人だったと思います。林真理子も嫌いじゃないし、
「ばか」の言い分をフェミニズムに引きつけるような教条性には嫌悪を覚える
方だったとはいえ、若い世代に対しては「何故戦わんかお前ら!」という
歯がゆさを感じていたのも事実です。知らぬうちに芽つぶしに加担していた
のかもしれません。
 曽野綾子氏は、色紙を頼まれると「あとは野となれ山となれ」という言葉を
好んで記すそうですが、私がその言葉を言うのは10年くらい早いかもしれません。
ただ芽をつぶしてしまっただけでは、Iさんの言うようにいかにも無責任ですからね。
「若い女性が一人暮らしを続けられる方法」を彼らと一緒に模索することで、
その責任を引き受けていこうと思います。従って「めざせ!紅白」のスローガンは
撤回致しません。あしからず。
 ※文中のCP、FCなどのTA(交流分析)用語については、こちらをご参照ください。
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