私の中のローラ

 もう本当に何十年も前のことになりますが、
私の卒論は「テネシー・ウィリアムズ」でした。
1940~50年代に活躍したアメリカの著名な
劇作家ですね。
 同性愛者として知られる彼は、晩年アルコールに
溺れ、1983年にボトルキャップをのどに詰まらせて
変死を遂げています。1979年にはヘイトクライムの
犠牲者にもなりました。その名声とは裏腹に、暗く
悲惨ともみえる人生を歩んでいます。
 卒論で主に取り上げたのは、その代表作の一つで
ある「欲望と言う名の電車」です。これは日本でも
文学座が今は亡き名優杉村春子の主演で何回も
上演し、私も5~6回観ています。アメリカでは、
ヴィヴィアン・リーの主演で1951年に映画化されました。
 この劇の主人公のブランチは、今で言う「ボーダー」
ですね。過剰で過敏で虚栄心と自己愛のかたまりで、
決して観客の共感を得られるようなキャラではない。
しかし、ウィリアムズがこのブランチに自分を投影して
いるのは明らかで、彼女が破綻に至るプロセスを
痛切なタッチ描いています。
 私は当時からこの手の話が好きだったんですねえ。
「ボーダー」の芽は20歳にして脈々と育っていたのです。
その「ボーダー」を見事に演じる杉村春子にも大いに
心酔したものです。
 卒論を書くのにウィリアムズの戯曲は殆ど読みましたが、
今になってよく心に浮かんでくるのは「ガラスの動物園」です。
主人公のローラは、足に障害を持ち、その繊細な心ゆえに
社会に適応できずにガラス製の動物たちをコレクションして、
その世界で毎日を暮らしています。
今で言う「引きこもり」ですね。「おたく」っぽくもあります。
それを何とかしようと奮闘する母親のアマンダ、希望のない
フリーター生活に絶望している兄のトム、母親がローラとの
結婚を目論んで夕食に招くトムの同僚ジム、の4人が
登場人物です。
 ローラは、精神を病み、その生涯を精神病院で過ごした
ウィリアムズの姉ローズがモデルと言われています。
ウィリアムズは、彼女にロボトミー手術をすることを許諾した
両親を生涯許さなかったと言います。
 「精神を病む人々」への共感と受容の姿勢は、彼の
戯曲全般に常に貫かれています。私はその彼の姿勢に
いたく引きつけられたのでした。
 来訪者のジムは、障害のコンプレックスに苛まれる
ローラに、「人と違うことは恥ずかしいことではない」とか、
「自分の中に長所を見つけてそれに誇りをもつべきだ」
とか「ふつうの人なんか決して素晴らしくはない、世界中
どこにでもたくさんいるけれど、きみはたった一人の
かけがえのない存在だ」とか、まあ熱心に真摯とも
思える口調で励まし慰めるのです。
 彼に高校時代から憧れの気持ちを抱いていたローラは、
その慰めに一時は感動し、立ち直るきっかけになるかと
見えますが、彼に婚約者がいることが分かった瞬間に、
ジムの言葉の魔力はあえなく消え去ってしまいます。
 
 勿論ジムの言うことは正論です。そのとおり!!
今でもどこかのカウンセラーが言いそうな言葉です。
しかしどんなに心から発せられたとしても、「そんなことを
言うのなら彼女と結婚しろ」というのはいかにも理不尽な
要求だとは分かっていても、「ご立派な言葉なんぞ
クソの役にもたたねえんだよ!ジム君」と、ローラに
投影した20歳の私の心は叫んでいたのでした。
 今何故こんなことをつらつら思い出すのかと考えてみるに、
「こころの時代」とか言われる昨今、ジムみたいなことを
言う人が増えている気がするからでしょうか。
へたをすると、自分の中にジム化している部分を感じたりも
するのですね。
 多分私の根底には、未だガラスの動物たちと戯れる
ローラがいて、常にジムに向かって深い絶望的な眼差しを
投げかけているのだろうと思います。
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