青春ノスタルジー

 シモーヌ・ド・ボーヴォワール著「招かれた女」上下巻を
昨晩読了。実に30余年ぶり。数回目の再読でした。
 この本は何年か前に無性に読みたくなって、本棚を捜したの
ですが見当たらず、仕方がないので買いに行った本屋で絶版に
なっていることを知りました。がっかりして、例のいつもCSNに
本を運んでくれる会員のIさんにそのことを話したら、「多分私
持っている」とのこと。捜し出してくれたのを大喜びでお借りした
のですが、「必ず返して欲しいから」と蔵書印まで押されたその
文庫本を見ているうち、どうしても自分のを所有したくなっちゃった。
 私は「本を借りて読む」というのがどうもだめで、資料とか
ばか高い専門書ならともかく、気に入った本は自分のものに
したうえで読むのでなければ読んだ気がしないというタチ。
「絶版なら仕方がない」と諦めかけたものの、ムクムクとこの
「タチ」が頭をもたげて、ネットの古本サイトを捜しまくりました。
あっても上下どちらかだけというのが殆どのなかで、一つだけ
上下巻揃いらしいのをアマゾンで見つけました。メールでその
旨を確かめたうえで購入。送料込みで金735円也。苦労した
割には安い買い物でした。
 注文してから2日後には本が届き、その古びたセピア色の
ページを開けるのがワクワクするほど楽しみで、できれば
ずっと開けずにその楽しみを味わっていたいと思うほどでした。
しかし目の前の誘惑には勝てずに、その夜1ページ目を開けて
読み始めて以来、毎晩の悦楽が続きました。
 「このほこりくさい匂いも、暗がりも、がらんとしたさびしい空気も、
あたしがいなければ、みな誰のためにも存在しない。いや全然
存在しないのだ。こうしてあたしが出てくると、絨毯の赤い色が、
ほの暗い常夜燈みたいに、闇の中に光りだす。あたしの存在は、
物を無感覚の状態から引き出し、色やにおいを持たせる力がある
のだ。」
 今の本よりも1ポイント以上小さい活字で、四隅が茶色にやけた
古々しいページに綴られたこの文章。そう、この文章。渋谷道玄坂の
「ライオン」で一人読み耽ったあの日々。耳の奥にあの大音響の
バッハが鳴っている・・・。
 「この人気のない場所や、眠っている物体の意味を発見する者は、
このあたしだけ。それはみなここにいるあたしのもの。世界はあたしの
もの。」
 おゝ、そうよ!「世界はあたしのもの。」 この感覚。この溢情。
40年の月日を越えて蘇る熱い感慨がひたひたと押し寄せては、
夜毎立ち現れる20歳の私。「私は今もあなたの中にいるのよ」と
今の私に激しく主張しているようで胸に迫りました。
 この本の舞台である巴里。そこに出てくる「ドーム」とか「北極」
とかのカフェ。立ち籠める煙草の煙とコーヒーの香り。人々のお喋り。
酒と音楽とダンス。怪しげなジプシー占い。喧騒と混沌に彩られた
そんな雰囲気に憧れ、そこに座っている自分を想像しては胸の中で
繰り返していた、「世界はあたしのもの」と。
 ふっと目を上げると眼前には大きなスピーカーがそそり立ち、
飽きずに交響楽を奏で続けている。とっくに冷めてしまった
コーヒーを一口飲むと再び本の世界に耽溺し、あっという間に
2~3時間は経ってしまう。その硬い椅子で最後のページを
読み終えたあのときの気分を、昨晩はまざまざと思い出しました。
 できるだけ引き伸ばして2週間もかけて読んだのですが、
いやでも終わりは来てしまいます。未練尽きない私は、
次なる悦楽を追い求めて、数日前にやはりアマゾンの古本サイトで
「他人の血」を何と1円で購入しました。この安さがもう顧られる
ことのない作品であることを物語っているようですが、そのお陰で
1円で悦楽が買えるとは、誠にありがたいことです。
 今本棚で出番を待っている私の青春。今の私に
鋭くそして激しく熱情を投げかけてくる20歳の私に
また会えると思うと、今からぞくぞくするほど楽しみです。
 ※文中の引用は「招かれた女」(新潮文庫、川口・笹森訳)
   によります。
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