人がこの世に生まれたときには
誰もが母親のお乳の味しか知らなかったはず。
今のんだらおいしいんだろうか。
でもあの頃は、誰にとってもこの上なくおいしかったんだろうね。
その乳の味を求めて
人は「ジンセイ」という街を彷徨い、
何軒もの酒場に足を向ける。
そこで供される酒の味は人によって違うらしい。
いつも口当たりの良い甘いカクテルだったり、
とてつもなく苦くのみづらい酒だったり。
口当たりの良い甘い酒は何杯ものめるから、
人はそれで「ジンセイ」という街を知った気分になる。
この街の酒場では、皆が甘い酒を酌み交わし、
肩をたたきあっては楽しげに笑い合ってる。
飲みつかれて皆と別れた後にふと
「これって本当においしいんだろうか?」っていう疑いが胸をよぎるけど、
まあいいや。
明日またあの酒場に行けば、そんな疑いは消えちまうさ。
とてつもなく苦い酒を出された人は、
どうしてもその杯が飲み干せずに立ちすくむ。
その余りもの飲みづらさに、人はそれで「ジンセイ」という街を
知った気分になる。
この街にはおいしい酒などどこへ行ってもないのだと。
こんな酒を「おいしい」と言ってのみ交わしている奴らは
味覚というものがないバカなんだ。
あんな奴らとは金輪際酒なぞのんでやるものか。
人は知らない、この街の酒場で出される酒は、
どれも皆同じものだということを。
もうあのお乳のような文句のないおいしい酒は
どこを探してもないのだと。
出された酒を「文句なくおいしい」と感じるのは、
まぎれもなく自分自身でしかないのだと。
苦い酒はごめんだと思えば、その人の飲む酒は
いつもただ甘いだけの酒になる。
口当たりはいいかもしれぬが、敏感な人なら気づく。
その後味に残る微かな空疎さ。
それは針のようにチクリとその人の心を刺し、ほんの小さな穴をあける。
そこでまた酒をのむ。
また小さな穴があく。
でもずっとそうやっていくこともできないことじゃない。
ともかく酒さえのみ続ければ、ほんの僅かな痛みなんか容易くやり過ごせるし、
ぽつぽつとあいた穴は、その都度もらう賞賛や親しげな笑顔で埋めりゃいい。
いくら口当たりはよくたって、ただ甘いだけの酒なんていやだと思えば、
その人の酒はどんどんと苦くなる。
とても一辺にのみ干せるような代物じゃない。
目の前になみなみと注がれた酒は一向になくならないから、
お代わりをつぎに来る人もいなくなる。
やって来るのは、いつまでたってもとてものみ干せそうもないという絶望感。
その人は酒場を出て、喧騒を逃れるように街のはずれに入り込む。
そこで「怒り」の谷底や「憎しみ」の藪中に立てこもる。
でもずっとそうやっていくこともできないことじゃない。
居心地は余り良くないけれど、現実にはないお母さんのお乳の味を
独り思い返すには格好の場所だから。
どうしても酒がのみたくなれば、どこかその辺のできるだけ人気のない酒場に行って
あの苦いまずい酒を一口なめてくればいい。
いつかはのみ干せる日が来るかもしれないし。
「ジンセイ」という街には無数の酒場がある。
人はその酒の味でその街を語るけれど、
人は知らない、どの酒場でどんな酒をのもうと、
それらはみな幼い頃のんだ母親の乳のように同じ味にできているのに、
その頃のように「文句なくおいしい」と感じる自分はもうどこにもいないのだということを。
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