コーヒーと「福祉」の日々

 数日来「福祉」づけの日々です。
なぜなら、私は今年4月から東京福祉大学「社会福祉士養成通信課程」の
学生になったのです。でも、「縁」開店の多忙さに取り紛れて連休前にあった
オリエンテーションに行きそびれ、教科書を発注するのが遅れてしまい、つい
数日前にダンボール一杯のテキストが送りつけられて来たところで、今月分を
さっさと読んでレポートを書いてしまわないと締め切りに間に合わないという、
まさに私らしい土壇場に追い込まれつつあるのです。
 そんな状況でも普段はなかなかじっくりテキストを読み込む時間など
とれないので、オフの今日はここぞとばかりに一日中読み進みました。
それでも300ページ以上もあるA4版の分厚いテキストはなかなか
手ごわい。ターッと読み飛ばしていてはちっとも頭に入ってこないので、
ノートをとりながら読んでいくことにしました。左手にコーヒー、右手に
シャーペン、読んでは書き、書いては読み、そのうち右手の親指の
つけ根が痛くなってきちゃいました。
 そんなわけで、今日一日頑張ってもまだ50ページ足らずしか進んで
いませんが、あちこちに散乱していた知識が少しずつファイリングされて
いくような気持ちよさがあります。しかし「社会福祉士は、福祉の専門家
として、多様化する福祉ニーズの充足、軽減、緩和のために、基軸となる
社会福祉についてはもとより、隣接する多様な施策の内容やそれらに
通底する理念や価値について十分理解しておかねばならない」とか
言われると、異様に分厚い何十冊ものテキストを前に、これ全部勉強
して、試験受けて受かった人が実際にどういう活動をしているんだろう、
というのが気になり出したりしますね。湯浅誠氏のような骨太の活動家は、
「福祉」なんて理念は度外視したところで動いているように思えます。
現場というのは常にテキストの知識なんぞが及ばないところにあるんじゃ
なかろうか。そんな感じに襲われたりもします。
 しかし、曲がりなりにも日本が「福祉国家」の第一歩を踏み出したのが
70年代の高度成長期だというのを読むと、改めてその歴史の短かさに
驚かされます。私なんぞはろくに「福祉」という概念がない状況で育った
わけですからね。それに経済の成長期にはそれほど問題にならなかった
ことが今になって大きな社会の課題となっている。これから益々増大する
であろうこうした課題に対応する術を私たちは歴史から学ぶことができない。
全て初めての試みとして模索していかなければならないわけで、そういう
意味では今こそが「福祉元年」なのかもしれません。
 ともあれ、これから1年10ヶ月の長丁場、山ほど抱えた仕事の合間を
ぬいながら、毎月分厚いテキストと格闘してレポートを2本ずつ仕上げる
という過酷な試練に立ち向かわねばなりません。当分は「土壇場キラー」
の本領を存分に発揮することになりそうですね。
 記念すべき我が「福祉学習元年」の幕開けです。
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