今更ながらの独り言

 昨日は久しぶりに三鷹に行ってきた。
行き先は懐かしの「三鷹ボランティアセンター」。
今や新春恒例となった「三鷹市高齢者電話訪問」の
ボランティアさんたちの今年初の講座である。
新しい方が1人入られたが、その他のメンバーは殆ど変わらない。
男性1人を含む20数名が、今年も元気に顔を揃えてくれた。
 市内の高齢者の申し込みを受けて、週1回電話をかけ
話を聴くこの活動は、途中予算を削られたりして存亡の危機に
晒されながらも10年以上に渡り粘り強く続けられ、今や
高齢化社会が急激に進展するなかで存在感を増しつつある。
 講座は、いつも様々な事例を出してもらいながら話をする
という形で行っているが、今年の事例の多くに共通するのが
「高齢者の孤独感」というテーマであった。「淋しい」と訴える
電話が増え、なかには60歳そこそこの人もいるという。
「家へ来て欲しい」と何度も誘われたり、ついにはセンターを
訪ねてくる人までいるとのこと。社会とのつながりを絶たれ、
家族からも疎まれている高齢者が増えていること、彼らが切実に
人との触れ合いを求めていることを物語るエピソードである。
 講師の私も高齢者なら、ボランティアさんの殆ども60歳
を超えている。「身につまされる」という心情が拭えぬなかで、
「依存と自立」について話をした。
「人は誰でも他者に支えられて生きている。なかなか自分一人では
思うように動くのもままならなくなる高齢者であればなお更のこと、
他者に依存する部分が大きくなるのは当然。そのことは決して
恥ずべきことではない。しかし自分一人でやれることは最後まで
やること、他者を侵食せぬほどの距離を保つこと、人間としての
根源的な孤独を引き受けること、そういうことが自立を支える
大事な要素なのだ」と。
 これらのことは、電話訪問の相手に求めるということではなく、
私を含めたメンバーの一人ひとりの「自立のイメージ」として
心に留めて欲しいとつけ加えた。こういうことは何も高齢者だけ
ではなく、年齢に関わらず誰にでも当てはまることだ。
 「どんなに理解し合えぬと分かっていても、人とつながろうとする。
それでこそ人間だし、そうしようとする行為そのものが尊く貴重なのだ
と私は思う。電話訪問という試みはまさにそれを体現する活動だ。
これからもできる限り長く続けて欲しい」と伝えて講座を終了した。
 外に出るとひときわ冷たい風が頬を刺す。
それとともに今しがた講座で話した自分の言葉が蘇って自らの胸を刺す。
最近こういう講座が多くなった。
一服するために入った喫茶店で、熱いコーヒーを啜りながら
思わず声に出して呟く。
「生きていくのは大変だ」。つくづくそう思う。
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