再びmaさんへ

 先日緊急投稿したmaさんへのコメントの返信が
メールで届いていました。パソコンの不具合で
コメント欄にアップできなかったということでした。
 何回かに分けて書いてくださったのですが、
「そうやって大変な思いをして支援をしている
人たちもいるんですね。」いうことと、弟さんに
対する思い、「クズ」という言葉に対して
「はあ、なに?」と思わず独りごちたこと、でも
それは「 いくばくかの人達がもつ本音なのかも
しれませんね…。」と書いておられました。
 それから弟さんのように引きこもっている人たちに
感じるのは「はがゆさ」のようなものだ、とも
ありました。「それは、もったいないよお 気づいて
くれよお っていうことかなあって思います。」と。
 ある種の人たちが「クズ」という風に見るのは、
それが「国家のリスク」であるとみなすからです。
行政が身を乗り出してきたのも、その「リスク」を
少しでも減らそうという思惑があるからでしょう。
それならその思惑に乗じて何とかさせようという
政治力も必要かも知れません。湯浅誠氏の仕掛けた
「派遣村」にしても、戦略の勝利という面も
あります。NPOなどで社会的に活動をしていく
ということは、そういうことなのだろうと思います。
 しかし彼らと接してみて感じるのは、彼らは
決して「国家のために」活動しているのではないし、
そういう視点から見たら、自分たちも「クズ」で
あることを自覚しているということです。私は
自分のなかに根強い「引きこもり心性」があるので、
そうした人たちと同じ地平に立っていると感じます。
彼らも多分支援する人たちのなかに自分を見ている
のです。そうでなければ身を賭してまでやることは
できないと思います。
 しかしメールのなかでmaさんがいみじくも言って
いるように、クライエントさんたちのなかに
「自分を見る」ということは、感情に巻き込まれたり、
自己陶酔に陥ったりする落とし穴があります。ミクロ
からマクロへと視点を自在に移動させ、事態を俯瞰する
客観性を備えてこそ、有能な活動家であると言えましょう。
 私自身は戦略的な思考とか政治的な動きというのは、
全く苦手です。とても一級の活動家にはなれません。
ただ、国家や社会が押し付けてくる善意めいた策謀
を見極める目は失いたくないですね。自分の立ち位置
だけは揺るがぬよう心しようと思っています。
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