語れども未だ溶けず

 先週の土曜日に今期のTA学習講座が終了した。
最終回はいつも「変容のための決断」というテーマで
行うのだが、今回はさながら「地震を語る会」の
様相を呈した。
 あれから2週間経つが、復旧はまだまだこれから。
通勤難や停電の余波も当分治まりそうもない。生協に
注文した製品にも欠品が相次ぐ。
 誰の胸のうちにも得体の知れぬもやもやが湧き起こって
居座っているようだ。もやもやの中身をよくよく見れば、
不安、虚無、恐れ、怒り、苛立ち、といった感情が蠢いている。
ラケット感情の巣窟だね。
 地震の後で何回もTVで見た黒い波の塊は、まるで
世界中の人間の欲望が凝り固まって押し寄せてきた
みたいだった。見るたびに独特の虚しさに襲われた。
まだ瞼の裏に焼きついて消えない。
 それでも日一日と薄皮を剥ぐように日常の感覚が
戻ってくる。時間というのはすごいものだ。焼野から
僅か十数年で「もはや戦後ではない」と言わしめたように、
この震災もいつか「アニバーサリー」になるんだろうか。
 「戦前」「戦後」みたいに「震災前」「震災後」の
意識の変化は残るのだろうか。そのうち跡形もなく
消えてしまうのだろうか。
  海外ではもう原発擁護論が出てきている。
何があっても人間の欲望は止まるところなく膨れ上がるんだろう。
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