「ナイーブ」な人々

 先日の日経の「経済教室」欄に阪大の池田新介教授が
「行動経済学」の知見について論じていた。その記事によると
経済学では、将来の衝動的な自分を正確に自覚している主体を
「賢明(ソフィスティケイテッド、スマート)」な意思決定者、
自覚しない人を「単純(ナイーブ)」な選択者、というのだそうである。
 前者は目先の利益にとらわれず、将来の自分の状態を
的確に見越して計画を立て、その通りに実行する人である。
クレジットカードの使用は無理なく支払える範囲に留め、
長期的な健康のために喫煙や飲酒を慎み、食物に気を配って
摂生に努める人である。
 一方後者はその反対、つい目先の利益に目がくらみ、
収入が不安定なのにカードで高額なものを衝動買いしたり、
ダイエット中なのに夜中にケーキを食べちゃったり、つい
アルコールを飲み過ぎて翌日の仕事を休んだりするような
タイプである。こういう選択は積もり積もると、過剰債務や
健康被害、依存症などの自滅的な結果を呈する。
 「ナイーブ」という言葉は、日本では「純真で無邪気」という
ニュアンスを含んで用いられるが、英語では「単純でばか」という
意味で使われることが多いらしい。日本以上にシビアな状況では、
「ナイーブ」さなど無用の長物以外の何ものでもないのだろう。
 しかし統計によれば「賢明」な人はそう多くないという。
そこで大多数のナイーブな人々に対し、巧妙に網を張り巡らして
ひっかけようとする市場の蜘蛛みたいな輩が跋扈する。
当初の金利を低く設定して顧客を勧誘する消費者金融、
次々と新機能を付加して便利さと娯楽の誘惑を仕掛ける携帯機器業界、
美しくなりたい欲望を刺激し続けて利益をあげる美容やダイエット用品の数々etc、etc…。
まるでハエのようにあっけなくその網に絡め取られる「ナイーブ」な人々。
 こうした状況に対して、教授は「選択的枠組みを工夫する政策の
介入に一定の効果がある」としながらも、「人々が選択的バイアスを
自覚しない限り本質的な解決にはならない」と強調している。
 さて、今話題の消費税増税議論。
これに反対するのって「ナイーブ」なのか?
日経読んでるとそう思わされるようなことばっかり書いてあるけど、
これって案外「マインドコントロール」じゃないのか?
もし解散にでもなったらその辺きちんと判断して
「ソフィスティケイテッド」な選択をしたいものだ。
blogranking.gif
ブログランキング・にほんブログ村へ
↑ブログを読んだらクリックしてね!
 

カテゴリー

投稿の月