連日時間があればオリンピックを観戦中。
勝者あれば敗者あり。さまざまなドラマが展開している。
こういう大舞台ではアスリートたちの脚本が垣間見える。
以前、サッカーのワールドカップでこんなことがあった。
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ここまではっきりしていなくても、ミニスクリプトはあちこちに顔を出す。
例えば体操の内村航平選手。
素晴らしい演技で個人戦の金メダルを獲得したが、
団体戦では明らかに脚本に入っていたと思われる。
「なぜか分からない」という彼の言葉があったが、
無意識のなせる業なのだから、意識では分からなくて当然。
オリンピックで期待を一身に集める選手には、
意識せずともプレッシャーが大きなストレスとなって襲いかかる。
そのストレスを克服して結果を出すためには、自力で脚本を抜け出す力が必要だ。
内村選手にはその力があった。
自分への信頼感、成功へのイメージ力、忍耐力、あらゆる心の力を総動員して、
彼は脚本から脱却し、個人戦に臨んだのだろう。
見事なものである。
もう一人、脚本の脱却力を見せつけた選手がいる。水泳の北島康介。
メダルは取れなかったが、そのリスクを恐れず挑戦する姿勢は、万人の胸を打った。
平泳ぎの歴史を変えたと言われるこれまでの軌跡のなかで、彼はどれほど
脚本と戦ってきたのだろう。
その脱却力は多分物凄く鍛えられている。
敗北の弁の爽やかさはその賜物だと思う。
脚本はアスリートのみならず、誰にでもある。
しかし、大きなストレスに晒されることが常人よりも多い彼らには、
脚本からの脱却力の強さが是非とも必要だ。
必死に脚本を超えようとする選手たちの姿に感服するのもまた、
私にとっての五輪の醍醐味である。
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