言われてみればそうなのだ。
大勢の人が取りついていなければ機械が回らなかった
生産システムはもはや過去のこと。今やほんの一握りの
技術者で事足りる時代になってしまったわけだから、
人力は殆どいらない。ましてや国境のないグローバル経済が
推進されれば、労働力はできるだけ安い国から調達すればいい。
相当に高度な技術者でさえ、国内よりもかなり安い賃金で
調達可能だ。アメリカの中産階級がこぞって貧困層に脱落し、
二極化しているのも、主にITの技術者の仕事をインドなどの
発展途上国にどんどんアウトソーシングしているからだという。
もちろんこの波はアメリカのみならず、世界中の先進国を
襲っている。日本も例外ではない。もはや雇用されることで
生活の糧を得る時代は終わりつつあるのだ。今週のF子さんの
ブログにあるように、安富歩×岩上安身のトークセッション
のなかで、安富氏は、はっきり「雇用で飯を食うというのは
幻想だ」と言っている。「ますます小さくなっていく雇用の
パイにしがみつくことは、雇われた会社に魂を売り渡して
生きることだ」とも。
彼は「今こそスワラージを!」とアジる。
「スワラージ」とはガンジーの言葉で、「自らの魂の自由を
妨害するものと戦う」ことだという。「今や私たちはそのための
格好の道具(PCやスマホ)を手に入れたではないか!」と
焚きつける。確かにそうなんだろうね。
しかし、既成メディアの偏向を暴くために、ネットを利用して
ニュースの配信をしている岩上氏は、「正直食えません」と
本音を明かしている。ひも付きにならぬためスポンサーを一切
とらずに、賛同者の会費だけで運営するのはかなり大変だろう。
「でもとにかく続けること、考えてないで行動することだ」と
彼は言う。まあ確かにその通りではあるね。
そうなんだ、確かにそうなんだけど…
じゃあ、それを我と我が身に落とし込んだとき、私は何をするのか?
となると、これが難しい。結局食えなくちゃ話にならないからだ。
特別な才能がなくても、コミュニケーションが苦手で不器用でも、
自分と世界を繋ぐことにとても臆病で、足を竦ませてしまっている
そんな若者たちでも、とにかく食っていけなくちゃならないのだ。
そのためには、何か今までとは違った新しいシステムが必要なのだ。
きっと。
…と、そんなことをぐるぐる考えていたら、昨日の日経で
評論家の渡辺京二氏がこんなことを言っているのに出会った。
「文明の行き着いたところでは、人間は生きづらいという自覚を
出発点に、自分が一人の人間と対応する時に、喜びのある関係が
作りだせるのかどうかがカギだ。他者との交わり自体を喜び、
できる範囲で相手に対座し、時間を共有して行く。いわば宴席の
ような雰囲気を他者との関係で築くよう心がけることだ。」
これって、カウンセリングやグループワークを通して
まさに今私がやってることじゃない?まあ、ちょっと
手前味噌かもしんないけど…
「明治初期に日本各地を旅し、『日本奥地紀行』を著した
旅行作家のイザべラ・バードは、当時の新潟で、傘だけを売る店や
扇子だけを売る店の商売が成り立っているのに驚いている。当時
日本の社会には無数のニッチ(隙間)があり、そこに特化することで、
社会の中に責任と地位を占め、職分となっていた」
ふ~ん、そうなんだ!
「大企業に日本の経済を引っ張ってもらい、雇用を頼るのは限界が
来ている。私は今の若者にもニッチを探せと言いたい。地域で自足する
道は必ずある」
「他者と交わり、ニッチを探せ」という表題の渡辺氏の言説は、こう
結ばれている。
そうか、ニッチか…。
行政のしくみや制度からこぼれ落ちている人たちは沢山いる。
そうね、それって確かに現代の「ニッチ」かも。
何か、ちょっとだけ視界が開けた感じ。
奇しくも同時期に同じような主張に出会った。
やはり時代は想像以上に物凄い速さで動いている。
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