未練をつなぐカルサカス

 日経をとるのはそろそろやめようか、と思っているのだが、
以前にも書いたように文化欄なかなか充実しているのでどうも
思い切れない。嘘ばかりつく不実な男みたいな新聞なんだけど、
ちょっと粋な仕草が垣間見えたりするとぐっときたりして
すっぱり縁がきれない。まるで薹がたったジゴロみたいなもん。
そんな奴に月に4,380円も貢いでるのもどうかと思うんだけどね。
 …なんてことをつらつら考えながら紙面を繰る毎日なのだが、
私の好きな随筆欄「プロムナード」にまたちょっとぐっとくる
エッセイがあった。筆者は比較文学者の中村和恵氏。
タイトルは「穀象虫について」。
 筆者は、バルト海の小国エストニアに滞在中に知り合いになった
若い女性に、自分の食べていたすごくおいしいお米の残りをあげたく
なった。しかしどうもこのお米には穀象虫がいるみたいなのだ。
穀象虫とはお米につく虫のことである。そしてこの虫は低農薬の
おいしいお米にしかつかない。虫自体にも害はない。彼女は
こうしたことを理解してこのお米を食べてくれるだろうか?
 それで筆者はエストニア語作文に初挑戦して「穀象虫」について
彼女に説明することにしたのである。「穀象虫」はエストニア語では
「カルサカス」というらしい。虫についての詳細な説明の後で
筆者はこんな風に言葉を綴る。
 「カルサカスが発見される可能性のある可能性のある米を
わたしはあなたに贈りたい。これはとても新鮮な米です。
この虫は薬品汚染の少ない穀物を好みます。カルカサスは
いわば健康で自然なお米の証明なのです。成虫は米を丁寧に
洗えば洗い流すことができます。その後普通に調理すればよい。
カルサカスのいる可能性のある米をあなたは食べたいですか」
 その女性はそれを丁寧に読み、いくつか質問をした後で
「あなたが安全でおいしいという米をわたしは喜んで持って帰ります。
あなたはお米のエキスパートであるのですから」と言い、米袋を
しっかり抱えてマイナス20度の戸外へ出て帰って行った、というのである。
 何かいいよね、この話。
私が子どもの頃はお米はまだ配給制で、農家のおばさんが売りに来る
闇米を買っていた。そのお米には必ず虫がいて、いつも祖母が丁寧に
洗っては、縁側に広げた新聞紙にザーッとあけて日に干していたのを
思い出した。
 さて、この話には後日談があって、それが翌週の「プロムナード」に
載っていた。「それからどうなったのか」という問い合わせの反響が
あったらしい。それによると、お米をあげた女性から「おいしいお米を
楽しみ、遂にカルサカスは発見されなかった」旨のメールが届いたのだ
そうである。そのメールにはこう書いてあった。
 「最初はいかに自分がカルサカスと勇敢に戦い、それを洗い流すかと
想像していたが、誰も現れなかった。そこで私は考えた。
その罪のない小さな生き物を殺さないことにしよう、これほど遠くまで
旅してきたのだ。その客人を透明な小箱に入れ、空気穴もあけ、米を与え、
健康状態について論じ合うことにしよう。多分彼は孤独なのだろう。
夏になったら別の、エストニアの象虫をつかまえて紹介しよう。もちろん
彼らが戦い始めたら、速やかに離す。しかしカルサカスはいなかった。
ただとてもおいしいお米があった」
 「多分寒すぎて成虫になれなかったのだろう」と筆者は書いている。
エストニアの女性が虫にかける思いの何とも言えぬ味わいの深さと、
それを受けつつ卵のまま食べられてしまったカルサカス。
何気ない筆致が、農薬まみれで虫にも食われず、姿だけ美しい野菜を、
何の思いもかけずに食べていることの空虚な苦さを痛烈に際立たせる。
 こんな秀逸なエッセイに出会うと、どうもすっぱり別れる決心が鈍る。
月4,000円強のお手当、もう少し貢いでみるか。
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