つい先日、待ち合わせまでの時間つぶしにふらっと入った本屋の新書の棚に
ちょっと目を引くタイトルの本があって、思わず手に取り買ってしまった。
「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?」(小暮太一著・星海社新書)
という本である。「僕たちは…」とあるから若い人の本だろうとは思ったが、
案の定著者は1977年生まれの30代。富士フィルム、サイバーエージェント、
リクルートと名だたる大企業を渡り歩き、2010年に独立。出版社を経営する
傍ら、執筆や講演で稼ぐアントレプレナーである。
競争社会のなかでそこから滑り落ちないようにただただ馬車馬のごとく
働かねばならぬ労働者たち。著者は「こんな働き方」を「ラットレース」
と表現している。ワッカに乗せられてせわしなく足を動かし走り続けても、
同じところをくるくる回っているだけで何も進まない。それは年収100万の
ワーキングプア―でも1000万の中堅サラリーマンでも同じこと。「僕たち」
は、利益のために限界ぎりぎりまで働かされる。それは何故か。
「資本主義社会の構造とはそういうものだからである」と著者は言う。
著者は、マルクスの「資本論」とロバート・キヨサキの「金持ち父さん
貧乏父さん」という、時代も対策のベクトルも全く異なる2冊を読みこみ、、
資本主義のしくみについての解説が両者ともそっくり同じだということに
注目している。視点がいかにも若い人らしいよね。
資本主義経済において労働力は唯一「価値」を生む原資である。著者は
この仕組みを、「資本論」による分析を基盤に、「価値」とか「使用価値」
とかいうマルクス用語を使って説明する。どんなに価値の高い商品を
つくったり売ったりしても、会社が労働者に支払う給与は「労働の再生産」
に対する必要経費が基本である。即ち明日も明後日も変わらず働き続けられる
ために必要な生活費であって、2倍も3倍も利益を出したからといって、
給料が2倍、3倍になるわけではない。せいぜい報奨金とか賞与で僅かばかり
還元されるだけである。原材料や動力費は「価値」が上がればそれに伴い
増加するのだから、企業の利益は、この労働者の「剰余的価値」によりのみ
生み出される。従って企業は、明日働くことができるギリギリの限界まで
労働者を酷使した方が利益が上がる。これが資本主義経済の搾取の構図である。
マルクスはこの搾取に対抗する「革命」を唱えたが、ロバート・キヨサキは
雇用者から抜け出して人を働かせるビジネスオーナーになり、そして金を
働かせる「投資家」になることを提唱する。資本主義を叩き壊すか、その仕組みの
頂点をめざすか、どちらにしても「僕たち」には余り有効な対策とは言えない。
著者は、「僕たち」の現実的な対策として、自分の「労働力」を消費する
のではなく、それに投資する「自己内投資」を勧めている。金を投資する
ことはできなくても、自己の労働に投資することはできる。毎日8時間
言われたとおりに働いて、休日に体を休め、ときにストレス解消もするけれど、
翌日からはまた同じように会社に行き同じような日々を繰り返す。これは
「労働力の消費」である。同じ会社で働くにしても、自己の主体性を生かし、
働く技能や意欲を高めるような熱意の涌く働き方をすれば、それが
「自己内投資」となる。
自己内投資はいずれ自分の働き方を変えることに結びつく。
給料のためにいやいや働くのではなく、自分がしたい働き方をする。
それが「こんな働き方」から抜け出す有効な方法だ、と著者は説く。
自身もそのように働いて、主体的な働き方を獲得したのだと言う。
著者は、会社に勤めていた頃は仕事を「苦行」だと思っていた、と
明かしている。しかし働くことの本質はそうではない。苦しいことはあっても
基本的に働くことは楽しいのである。そのなかで障害を乗り越え、不安を
克服し、リスクを背負う力を培った者だけが仕事を楽しいと思えるのである。
↑ブログを読んだらクリックしてね!