この間会った友人に「かなりんは余り過去のことを
話さないね」と言われて、「はて、そうかな、随分
話している感じがするけど」と思ったが、それは
エンカウンター・グループとかロール・プレイとか
カウンセラーのトレーニングのなかでやってきたことで、
確かに日常のなかでは話さないかもしれない。
日常のなかで話すトピックスは、結構大きな出来事
だけど、それほど心理的に深刻ではないものに限られる。
定番は、「かなりん誕生秘話」、「給食ぶちまけ事件」、
「女子校の上級生にキスを実地伝授された話」、「ネコの
カレーを食べた話」、「デモで捕まりそうになって
裸足で逃げた話」のうちのどれかである。これに
「逃げた男を追っかけていった話」とか、「昔の同僚が
その後殺人犯になった話」とかが加わることもある。
私の周りにいる人はこのうちのどれかはきっと聞いて
いる筈である。昨日は訪ねてきてくれたネコ好きの若い
女性に、勢いで「ネコのカレー」の話をしてしまった。
悪趣味よねえ。ちょっと反省。
でもこうして並べてみると結構バリエーション
豊かじゃん!そこで今日はこのなかから1つ目の
「かなりん誕生秘話」を取り上げてみようかな。
実は、この逸話、ムカ~シこのブログにも書いた
ことがある。だけど10年近くも前のことなので
誰も覚えちゃいないだろうから、引用して労力を
節約しちゃおう。
〈聞くところによれば、私が生まれたのは、
渋谷道玄坂上の「恋文横丁」の奥にあった「小林病院」
という個人病院だそうです。今はもう跡形もありませんが。
私は逆子で、当時はどこの病院でも「産むのは無理」
と言われたのを、母があちこち訪ね歩いて辿り着いた
とのこと。母から事情を聞いた小林先生は「産めない
なんて言ったのはどこのどいつだ!」と烈火のごとく
怒り、「必ずここで産ませてやる」と宣言したそうです。
というわけで、私の命には、今は亡き(多分)小林先生の
並々ならぬ熱情が注ぎ込まれているわけですね。
このエピソードは何回も母から聞かされて、いやがおうにも
自分の奥深くに刻み込まれているような気がします。
今は「恋文横丁」も渋谷から消え去りました。
終戦直後、米兵と恋をした女たちが、帰国してしまった
恋人に出すラブレターを英訳するのを生業としていた
人達の店が軒を連ねていたところからこの名前がついた、
などという由来も知らぬ人の方が多くなっているので
しょうね。それでもあのあたりに行くと、何だかそういう
女たちの必死でしたたかな生き様を彷彿とさせるような
雰囲気を感じます。そしてそのとっつきにあったという
「小林病院」は、そうした女たちの涙やため息も沢山
吸い込んでいたのではないか、とそんなことも思います。〉
いや、我ながら何と優しいしんみりした語り口!
ここを出発点として、「給食」「キス」あたりまでは
幾分余韻がありつつも、「ネコのカレー」「デモ」と
くるうち次第に情緒もくそもなくなって、「逃げた男」
や「殺人犯」の話は苦味が先走るいかにも私らしい
トピックスである。機会があればまたいつかお話し
しましょう。
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