イデオロギーフール

 中学、高校の計6年間、私は特異な環境にいた。
時は1950年末から1960年初めの頃。
所は中高一貫の私立女子校。
ここから70年闘争の全てが始まったと言われる
学校である。
 中学に入った途端に自衛隊についての討論があり、
自衛隊は憲法違反だと刷り込まれ、かの60年安保を
迎えた。高校1年の日本史の授業の教室では、
「がんばろう」や「インターナショナル」の歌声が
鳴り響いた。今考えれば異様である。
 いつの頃からかあれは「洗脳」というものでは
なかったかという疑念がよぎるようになった。
そして「やはりあれは洗脳だった」と思い、「そう
思ったときには洗脳は解けている」と思うまでには
結構長い時間がかかった。私のイデオローグ時代は
なかなか明けなかったのである。
 そのきっかけとなったのが、自らの内にある「感じ」
へのフォーカスであった。それはカウンセリングの
研修途上で出会ったものである。そして私は、それ迄の
ご大層な主張や理念の裏に張り付いている自分の欲求や
怒りや不安を引きはがし、それらを見据えるようになった。
そして「イデオロギ―」というものを殆ど信じなくなった。
 今は「イデオロギー」などと言っても通じないかも
しれない。「信条」とか「思想」とか言い換えたら
いいだろうか。だけどこれらの言葉、何だかやっぱり
響かない。埃をかぶった楽器みたいだ。人も言葉も
「打てば響く」のがかっこいい。
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