「ブログ療法」の効能

 今日は先日書きそびれた「ブログ療法」について考察してみようと思います。これは男Nへのかなりん処方として勝手に命名したもので、始めた頃は当人から「怪しげ」とか言われたけど(証拠はこちら)、ちゃんとそれなりの根拠はあるのよね。やせてもかれてもカウンセラーかなりん、いい加減なことはしないのだ、エヘン!
 そもそも人間というのは、何かの出来事や現象に出会ったときにそれぞれが違った見方や感じ方をする。そのもとになるものをTA(交流分析)では「準拠枠」という難しい言い方をするんだけど、まぁいわばその人なりの「価値観」と言ってもいいかな。例えば同じ景色を見てもある人は「美しい」と思い、ある人は「さほどでもない」と思う。ある人がすごいストレスを感じるような出来事でも、違う人にとってはワクワクするようなことだったりする。起きていることは単に「事実」に過ぎないけど、その「事実」は人によって色合いの違ったものとして存在するのね。言い換えれば「厳然とした客観的な事実」などというものは存在しないということでもあるわけです。
 人は日々そうした自分なりの「事実」に対処しながら生きています。その行動はその人がその「事実」をどのように捉えるかによって違ってくるということになります。これをTAでは「思考」と「感情」と「行動」のセットというふうに分析して理論づけていますが、私がこのところ興味を持って取り組んでいる「認知行動療法」的にみると、TAで言う「思考」は「認知」という言葉に置き換えてもいいと思います。「事実or現象」→「認知」→「感情」→「行動」というセットで見ていくことができます。
 このとき「行動」のもとになるのは「認知」なんですね。例えば「就職試験に落ちた」という「事実」を「きっと自分には能力がないのだ」と認知すれば、無力感や劣等感が湧き起こり、「もう何もする気にならない」という気分から「引きこもる」という行動に結びつく。こうした「認知」の傾向は、その人の持っている「こうであらねばならない」という価値観に影響されているのですね。「物事は完全にやらなければならない」とか「失敗した自分は全く価値がない」とか、知らず知らずのうちにそうした価値観に捕らわれて偏った認知をしていることが多いのです。「論理療法」のエリス先生はこういうその人特有の価値観からくる「思いこみ」を「イラッショナルビリーフ」と呼んでいます。
 
 さて、これがどう「ブログ療法」に結びつくのかというと、「書く」という行為がこういう「認知」の傾向に気づくために有効な手段であるからなのですね。このことはエリス先生もおっしゃっていますし、「いやな気分よさようなら」で有名な認知療法のベック先生も推奨しておられます。表にして書き出したり、日記風にしたりとやり方はいろいろですが、ここでかなりんが男Nのために考案したのが、以前彼がブログに書いてた「生活記録ノート」と「ブログ」だったというわけです。いわばかなりん先生オリジナル「男N向け特別処方版認知行動療法」であるわけで、効かないわけがないのです。エヘン!
 段々認知が「私ほど素晴らしいカウンセラーはいない」という「イラショナルビリーフ」になってきそう。イケナイイケナイ!とブログを書いているとこういうふうに気づくわけです。エヘン!

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