W杯シロウト談義

 男Nとサッカーについてちょっと話をした。彼はずっとサッカーフリークで、いろいろと情報もよく知っているのだが、私は新聞に出ている程度のことしか知らない。ゲームそのものについてもよく分からない。未だに「オフサイドって何?」というくらいのレベルである。
 そんな私ではあるが、生来「お祭り」は大好きだからオリンピックだのW杯だのは人並みには関心を持って観ている。先日の日本戦は夫が2階で映画を観ているのを尻目に、階下のTVでのうのうと一人で観戦した。昨日の韓国×トーゴ戦も観た。トーゴの闘いぶりが愉快だった。イングランドやオランダの試合も観た。正直言ってちょっと終盤は飽きた。でも虎の子の1点を守りきるって難しいのねえ・・・って日本戦を観て改めて感心した。
 W杯の開幕前後の日経に蓮實重彦氏と沢木耕太郎氏の対照的なコメントが掲載されていて興味を引いた。蓮實氏は「サッカーファンなら日本の勝敗に一喜一憂せずに世界の超人を見よ」と言い、「ロナウジーニョは肉体が動物の域にまで進化した超人、残念ながら中田英寿は非常に優れてはいるが人類の領域」と述べている。ジーコ監督の采配には「アウエーの試合で勝たなくてもいいけど絶対に負けられない、という戦い方を身に付けることができなかった」ことと「次回に活躍が期待できる若者がいない」という点で問題があるとし、「冷静に見て日本代表が一次リーグを突破するのは無理じゃないか」と悲観的だ。
 片や沢木氏の方はジーコ監督をWBCの王監督とともに「日本における新しい『代表監督』の像を提示した」と賞賛し、王監督の示した「品性、品格の高さ」がジーコ監督にも感じられると言う。そして「彼らが代表監督としてやったことは基本的にただひとつ、大きな枠組みの中で選手たちに可能なかぎりの自由を与えたことだ」と続けている。
 沢木氏も「果たして、サッカーの日本代表は、ジーコの信頼に応えられるのだろうか」とその能力には幾ばくかの疑念を呈してはいるが、「ジーコという新しいタイプの代表監督を中心に、チームとしての強い一体感を持つことで、一次リーグ突破という困難を乗り越えてくれるかもしれない」と大いなる期待を寄せる。
 この一体感とか自主性ということについては、蓮實氏が面白い見解を述べている。曰く「トルシェ監督は選手を子ども扱いしたというが、抑圧がエディプスコンプレックスを生み、選手の方が最後、自分で考えて動いた。稲本潤一が変な動きをして点を取った全回大会のロシア戦は、ナショナルチームとして一番強かった。今はそこまで強くない」。
 「支配的で強圧的な父親に対する息子の反発が力を生む」というのはいかにもこの方らしい見解ですねえ。それに反して沢木氏の見解は文学的に過ぎるという感もあり・・・。
 この間の日本戦をみる限りでは、「監督ダイジョブ??」ってなところもあるけれど、だからといって蓮實オヤジの「エディプス説」が的を得ているのかどうかも「??」ていうのはあるのよね。まあいずれにしても岡目八目、この先は男Nに任せることにしましょう。
 それにしても日本のサッカー選手ってかっこいいよね!世界に出しても「かっこよさ」ではひけをとらない。一昔前だったらこうはいかなかった。この軽やかでかっこいい若者たちに「したたかな泥臭さ」や「動物的な野性味」なんかを求めるのは何かお門違いって気もしちゃうんだけど、その辺どうなの男N?

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