時間の構造化

 今日の恵比寿は、手伝いに来てくれていたnekoちゃんと、仕事帰りに寄ったという405さんとで、また雑談をしたり、夕ご飯を食べたり、雑談をしたりしました(あれっ、どこかで見た文章?!)。その間にもレジュメを作ったり、スクラップをしたり、結構作業もこなしました。
 ここで突然ですが交流分析には「時間の構造化」という概念があります(そういえばこんな言葉も出てきてたかな?)。「人は皆時間を構造化しながら生きている」というのですが、まぁ平たく言えば、「時間の過ごし方」といったほどのことです。
 なぜそれが「構造化」などというしかつめらしい言葉で取り上げられているのかといえば、それが密接に行動と結びついているからです。時間をバランス良く構造化できる人は、精神のバランスのとり方もうまいのです。
 TAが提唱している「時間の過ごし方」にはいろいろありますが、毎日欠かすことのできないのが睡眠や食事などの基本的欲求を満たす行動です。これを「儀式」と言います。「儀式」にはその他に入浴や洗面があります。人と出会ったときの決まった挨拶もここに入ります。
 それから仕事や家事などは「活動」、独りで過ごす時間は「引きこもり」と呼ばれます。その他に大抵の人は多かれ少なかれ人と交流する時間がありますね。「雑談」はここに入ります。もっと深く親しい「親密な交流」は、誰もが欲しいと願いつつなかなか持てないものです。なぜなら、人は、自分や他者に心からの肯定感を抱き続けることが難しいからです。どんなに親しい間柄でも揺るぎのない安心感を持って接することができる関係というのは、そうあるものではありません。そこで人は真意を隠した裏面的な交流をすることになります。意図的な駆け引きから、無意識的な欲求に左右される支配、被支配的な交流まで、様々な不快な交流が想定され、これをTAでは「ゲーム」と呼んでいます。
 自分が今していることを改めて考えてみると、この6つのカテゴリーのどれかに入る筈です。例えば私は今ブログを書いているわけですが、これは「活動」ですね。さっきまでいたnekoちゃんや405さんと過ごした時間には、「雑談」と「親密な交流」と「活動」が混在していました。 TAでいう「雑談」はどちらかというと「表面的な交流」の意味合いが強いので、ここでの「雑談」は「親密な交流」に近いかもしれません。一昨日の男Nのブログにあった「雑談」もそうですね。まぁだから「醍醐味」とも感じられるのだと思います。
 世の中には「活動」ばかりしている人や、「引きこもり」オンリーで時間を構造化いている人もいるわけで、そういう人はどうしても精神的なバランスが悪くなります。人との交流にしても、表面的な「雑談」や裏面的な「ゲーム」に明け暮れていては不全感は免れません。そんななかで、グループワークや講座を通し、CSNが「親密な交流」を持てる場として機能し始めたことを感じる今日この頃です。
 
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