脚本装置

 今日はな~んにも仕事の予定がない。こんな日は本当に久しぶり。それでたっぷり朝寝坊をしちゃいました。いつもと同じように8時前に起きてトイレに行ったのだけど、引き戻されるように再びベッドにもぐり込んじゃった。朝の寝床はまさに私にとっての脚本装置なのです。
 夫が起きだしてコーヒーを入れている気配がする。「私も起きて一緒に朝ごはん食べよ」と思いつついつのまにかzzzzz…。気がついたら10時になってた。それでもまだまだ眠いけど、布団から身を引き剥がすようにして起き上がりました。
 時間がもっと早くても起きるときはいつもこんな風。「爽やかな目覚め」ってやつを一度でいいから体験したいものですね。まぁ低血圧ってこともあるけど、起きたときの気分は最悪。あっという間にやってきた朝を呪いつつしばしボーッとしているのが長年の習い性となっています。
 子どもの頃はなかなか登校する支度が出来なくて、よく母に「早くしなさい!」と怒鳴られました。そのヒステリックな声は未だ私のどこかで聞こえることがあります。その声にせき立てられるようにして行きたくもない学校に行ってたあの頃の記憶。頭では覚えてなくても身体は覚えているのですね。一昨日のmocoちゃんのブログにあったことと同じね。
 だから「朝」と「早くしろ」が結びついたシテュエーションには今でもちょっと弱い。第2の脚本装置ですね。仕事で出かけるときは、どんなに早く起きてもいつも焦っている感じがします。自分で自分に「早くしなさい!」と叱咤している。出かける間際には必ずバタバタするように「お膳立て」してるみたいな自分に気づくことがあります。
 この間も夫とボーリングに行こうと約束していて、できれば午前中早い時間に行きたかったのだけれど、前日の晩が遅かったものでついお定まりの2度寝をしてしまい、お定まりの「ボーッ」をしてたら、待ちかねた夫が「早く支度しろよ」と声をかけてきたのね。その途端、何か身体の底の方から得体の知れない凶暴な怒りの感情が湧いてくるのを感じ、「ウワーッ!」と怒鳴りそうになったのだけど、「あっ、これ脚本!」ってすんでのところで気づいて止めました。危なかったですね。
 TA(交流分析)ではこれを「輪ゴム」と呼びます。子どもの頃のストレス状況と似た場面に出会うと、自我状態がワーッとまるで輪ゴムで引き戻されるように「子ども」(C)に戻ってしまい、そのときの感情が突き上げてくるのです。これは肉体化された原始的な感情で非常に強烈なので、よほど意識しないと巻き込まれてしまうんですね。ひとたび装置の掛け金がパーンと外れてしまうと、それぞれがお互いの「脚本」にずぶずぶとはまり込み、激しい「ゲーム」をしてしまうことになる。mocoちゃんもこのあたりのこと、詳しく書いてましたね。
 
 思えば私たち夫婦も数え切れないくらいこういう「脚本」の場面に入り込み、激しい「ゲーム」を何回も繰り返してきました。私もmocoちゃんのように「存在するな」の重い禁止令を持っています。禁止令が重いと「早くしろ」のようなドライバーも強いのですね。畢竟突き上げてくる感情も強烈なものになります。
 人は誰でも自分が過剰に反応しやすいストレス状況を持っています。それが「脚本装置」です。こうした「脚本装置」は日常の至る所で私たちを待ち構えています。その掛け金が容易く外れないようにするためには、制御する強靭な「A(大人の自我状態)」を作り上げていく必要があります。私は余り好きな言葉ではないのですが、もし「愛」というものがあるとすれば、鍛え上げられた「A」のなかにこそそれはあります。いっとき人を襲う恋情は「愛」とは無縁のものだという気がします。
 「恋」ほど人を脚本に入りやすくするものはないと言ってもいいほどですね。殆どは「恋」という名の「ゲーム」をしているに過ぎません。それでも人は性懲りもなく「恋」をし、いっときの美酒に酔う。いずれ覚め果てたとき再び酔う美酒は「A」でつくるしかありません。長い時間をかけて醸造し、やがてそれは「恋」から「愛」に変わっていく。「愛」の美酒は汲めども尽きることがないのです。
 「結婚」というストレス状況から「愛」の美酒が醸造できるかは、日々の生活にかかっていると私は思います。何より大切なのは「ストローク」です。無条件のプラスのストロークが出せれば最高ですね。受け取ってこれほど嬉しいものはありません。自分が欲しければ、自分から惜しみなく出し続けることです。
 さあ、明日は早く起きて夫に「おはよう、愛してるよ!」って言ってみましょうか。う~ん、そこまでいくにはちょっとまだ醸造の熟成度が足りないみたい。mocoちゃん、一緒に頑張ろう!
 
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