「ウーマンリブ」再考

 先週の土曜日に渋谷区女性センターアイリスで
恒例の「シブヤフォーラム」が開催され、
当NPOもパネル展示などで参加しました。
今回は「20世紀を生きた女性からのメッセージ」
というテーマで、元労働省婦人少年局長・赤松良子氏の
基調講演をはさみ、2本の映画が上映されました。
 1本目は、GHQ民生局の一員として戦後の日本国憲法草案作成
にかかわり、第24条「個人の尊厳と両性の本質的平等」を日本国
憲法に盛り込むために尽力したベアテ・シロタ・ゴードンさんの
半生と、その条文を後ろ盾として戦後の男女平等社会実現のために
尽力した日本女性たちの活動の軌跡を描いた「ベアテの贈りもの」。
赤松氏はこの映画の制作メンバーの一人で、講演では、どのような
経緯と問題意識からこの映画が企画され、どのようにしてつくられた
かということを話されました。
昨今の憲法改正のきな臭い動きが、この映画をつくろうという
原動力になったと聞いて、「他国から押しつけられた憲法」とか
「自虐史観」とか声高に叫んでいる男たちの顔が浮かんできて
しまいました。
 2本目は70年代のウーマンリブ運動を戦った女性たちの今を
描いた「30年のシスターフッド」。
57分という短いドキュメンタリーながら、これが俄然面白かった
ですね。
同じ時代を生きた私としては、「あゝ、みんなこんな風に年を
重ねたのか」という感慨に浸りつつ観ていました。
私はリブの活動に直接関わることはありませんでしたが、
意識的には多大な影響を受けています。
 会社で電話をとるといきなり「男に代わって」と言われたり、
商談の席で「なんだ、女か」とあからさまに馬鹿にされたり、
という体験はいやというほどしています。
「女のくせに生意気だ」と、若い男性の同僚に足を蹴とばされた
こともありました。
セクハラ言動など日常茶飯、男女役割分担意識が根強くはびこる
職場や家庭で自分なりに戦ってきました。
私は会社でそこそこの地位を得、家庭では夫との別居を繰り返し、
周囲の女性たちの意識の低さに失望し、あらゆる場で孤立する
自分を感じては苦しんでいました。
その当時の私には、「人とつながる」などということは
絶望的に不可能に思えました。
 それでもリブの集会には幾度か顔を出したことがあります。
しかし多くの人たちが同じ方向を向いている場に常にアレルギーを
感じてしまうたちの私には、一つの旗の下に様々な個人が集約されて
いく「運動」というものにどうしても馴染んでいけませんでした。
「私」というこの存在はあまりに混沌としていて、
「女性解放」という単純な一つのスローガンになぞ納まりきれや
しない、という思いが拭い去れずにいました。
 折りしも日本のリブ運動は、「中ピ連」という団体の突飛な行動が
メディアの格好の標的となったのを機に、「一部の過激な女たちの
バカ騒ぎにすぎない」というレッテルを貼られ、女性たちからでさえ
眉を顰められるような代物になりつつありました。
私も「産む産まないは女の自由」というプラカードを掲げてデモる
女性たちをTVで見て、「何か違う」という違和感を覚えたものです。
 映画では、そうした社会のバッシングのなかでつながりを強めていく
女性たちの様子が描かれていました。
ミニコミ誌を編集し、合宿で語り合い、それぞれの思いを共有しよう
とする試みが粘り強く繰り返されていたことが分かります。
何人かの女性たちへのインタビューのなかで、ある女性が
こう語っていました。
 「今自分の居場所がなくて苦しんでいる若い人たちが増えているけれど、
自分の居場所は自分のなかにつくるもの。誰がどんなことを言おうと、
世界中が自分を非難しようと、自分はこれでいいと思えること、
それが自分の居場所になる。
私は多くの人々がバッシングを浴びせるなかでリブの運動を
してきて、その居場所を得たと思う。
どんなときにも揺るがず自分を受け入れられる自分が今あるのは、
リブをやってきたからだと思います」。
強くて確かな言葉だなあと、印象深く聞きました。
 会場に来ていたリブの女性が「男女平等」と「女性解放」とは違う、
と発言したのも印象に残っています。
私もこの日2本の映画を観てそう感じました。
「男女平等」とは主に制度的な問題であり、だから今こぞって行政が
推し進める課題になっているのでしょう。
一方「女性解放」というのは意識的な問題なのだと思います。
意識というのは個人的な内面に根ざすものであり、一人一人
違った形の苦しみと葛藤を抱えたものでもあります。
この映画は海外でも大学などの様々な機関で上映の機会を得ている
とのことですが、
「そのなかでもセクシャルマイノリティーの人たちの集う場での上映で
非常な共感を得たのが印象的だった」
と、山上監督が語っておられました。
 今こうして振り返ってみると、「リブ」とは「マイノリティーを生きる」
ということに通じるのかもしれません。
30年前に一様に同じ方を向き、同じスローガンを叫んでいたように
(私には)見えた女性たちは、今それぞれの生を自分なりに成熟させ
ているように思えます。
社会のマイノリティーを生きた強さとしなやかさが感じられ、
今まさにマイノリティーの道を生きる私を勇気づけてくれました。
 会場には余り若い人たちの姿は見られなかったのですが、
CSNからは若い女性が2人参加して一緒に映画を鑑賞しました。
彼女たちが「面白かった」と言っていたのが私にはとても嬉しく
感じられました。
若い女性たちの世代はまた私たちの世代とは異なった葛藤や不安を
抱えています。
成熟したリブの世代が、そうした若い世代にどう自分たちの戦いを
伝えていくのか、そして彼女たちをどう支えていくのかということも
また考えさせられた映画でした。
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