「子ども」に会う旅

 久々の「ナチュラルトラックバック」です。
 mocoちゃん、A子さん、それぞれに自分の「子ども」と出会う旅」
を始めたようですね。
先日のエンカウンターグループがよいきっかけになったと思います。
 私にとっても、あのエンカウンターグループは、「自分の中の
子ども」を見直す思いがけない機会となりました。
 私がその「子ども」に初めて気づいたのは、カウンセリングを
学び始めて4年目くらいのときでした。
 今からもう十何年も前のことです。
 「フォーカシング」という技法のトレーニング中に不意に
現れたその「子ども」は、薄暗いステージの隅にうずくまる
ようにしてしゃがみこんでいました。
私はどうしてよいか分からずにトレーニングを中断して
そのイメージを追い払いました。
 しかし、それから度々その「子ども」は姿を見せるようになり、
追い払っても追い払っても消えずに私を苦しめました。
自分の中にある得体の知れない激しい衝動的な欲求の源泉が
その「子ども」にある、と思い至ったときの衝撃は今でも
忘れられません。
 この「子ども」に自分のこれまでの人生が
支配されていたなんて!消えてしまえ!消えてしまえ!と、
心の内で繰り返し叫んでいました。
 それからの「旅」は本当に長く苦しい道のりでした。
私がその「子ども」に声をかけ、手を差し伸べ、そしてついに
抱きしめるまでに実に十年以上もかかったことになります。
 それだけ「私の中の子ども」の憎しみや敵意は激しかった
のだと思います。その子の持つエネルギーの全てをかけて
私のひ弱な「A」(大人の要素)や「P」(親の要素)に
対抗していたのです。
 今はもうその「子ども」の姿は私の中のどこにもなく、
ただ伸びやかに解放されたエネルギーだけがあります。
それは、苦しい戦いの果てに、私の腕の中に納まったその
「子ども」が私に残してくれた置き土産です。
私は今、そのエネルギーに助けられて生きているのを感じます。
 これは、エンカウンターのなかで「今あの子どもはどうして
いるのだろう」と自分の中を辿っているうちに気づいたことです。
自然に目の奥が熱くなり、そして自分の中に混然と溶け込んで
しまっているそのエネルギーごと自分を抱きしめたいという
思いがこみ上げてきました。
 全ての人が自分の中に「子ども」を抱えています。
そしてその「子ども」は、自分の存在に気づいて
もらいたがっているのです。
それがどんなに醜くとも、どんなに反抗的であろう
とも、そのありのままの姿で抱きしめてもらいたいと
切なく望んでいるのです。
 その「子ども」を抱きしめられるのは世界でただ一人、
自分をおいて他にはいません。
そしてそのとき、きっとその「子ども」は自分の人生に
とって大きな助けを与えてくれる「何か」に変容する筈です。
 「そのとき」に向けて、mocoちゃんやA子さんの「旅」が、
苦しさを乗り越えて進むことを願っています。
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