あの時、あの場所で、ぼくの想いはどこまで君に伝わっただろう。
そして君の願いを、ぼくはどれだけ受け止められただろう。
時を経てなお、ぼくは繰り返し問いかける。
あんなにも濃密な時を共有しながら、今はもうそばにいない君に――。
(柴田翔「贈る言葉」新潮文庫キャプションより)
武田鉄矢は柴田翔の小説「贈る言葉」を読み、それに触発されて
同名の曲を作ったと言います。卒業式の定番みたいになっちゃって、
本家の小説に漂う痛ましいばかりの虚無感はどこかへ行ってしまい
ましたが。
柴田翔といえば何と言ってもかの名作「されど我らが日々」。
若き日のかなりんが何回も繰り返し読んでは夜更けのベッドで
涙にまみれた思い出の一冊です。
それからというもの柴田翔の作品は殆ど網羅しているので、
当然「贈る言葉」もハードカバーで読んでいます。手元にある
その時の本の奥付は1967年。かなりん御年22才の春でした。
就職活動などろくにしないでデモに明け暮れていたあの頃。
「贈る言葉」の主人公のように、未熟で不器用な恋愛の日々。
お先真っ暗な将来から逃げるように一晩中彷徨した深夜の盛り場。
混沌とした不安と焦燥を抱えてうずくまった夜明けのジャズ喫茶。
あっちへぶつかり、こっちで転んで、満身創痍の青春時代。
その後の人生も後悔と慙愧の嵐。
吹き飛ばされずによくここまで生きてこられたものです。
こんなことを書き連ねたのも、今私が出会っている若者たちの
殆どが、決して生きることに器用ではなく、世の中と渡り合うことに
疲れ果て立ちすくむのを見ているからです。
彼ら一人一人のなかに、あの頃の自分を感じてしまうからです。
あるときはただ見守り、またあるときはちょっと背中を押し、
そしてあるときは現実的な手助けもしながら、その歩みを
支えることが、CSNのミッションであり、引いては私の願い
でもあるのです。
そんななかで、転職に際して「未知なるものへのワクワク感」を
心の中に再発見したと昨日のブログに書いたA子さんには、
精一杯のエールを贈ります。
何か気のきいた「贈る言葉」を書こうか、と思ったのだけれど、
それこそ卒業式みたいになっちゃうのでやめておきます。
ただ、それを聞いて私はとても嬉しかったと、今後どんな展開に
なろうとも、その「ワクワク感」は忘れないで欲しいと、それだけは
伝えておきたいと思います。
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