モデル喪失の時代

 やっと総会が終わり、一息ついているかなりんですが、
一息が二息三息にならぬよう気をつけないと、あっという間に
日が過ぎていって、気がついたらもう今年も幾月か、なんてことに
なりかねません。引き締めていきましょう! 
 と、いざブログにとりかからんとしたところに電話がかかって
来ました。年配の女性の方からです。聞けば娘さんが会社を
辞めて以来、部屋に閉じこもったきりで、食事のときなどに
話しかけようものなら物凄い剣幕で暴言を吐く。ここ数日は
食事にも降りてこなくなって、どう接していいか分からない、と
いうことでした。
 当方では今のところ電話でのご相談は受けていないのですが、
こうした電話にはつい身が入ってしまいます。余り聞きすぎても
いけないので、面談に来てくださるようお勧めして電話を切りましたが、
きっとその娘さんも、昨日のA子さんのブログにある「壁」にぶち当たって
苦しんでいるのだろうなあ、と思い胸が痛みました。
 その娘さんは30代ということですが、このところNPOだけでなく、
他の行政の相談でも、30代の女性に纏わるケースは増えています。
「女性も働いて自立して生きていかねばならない」という呪縛を背負い、
懸命に働いてきてたものの、その大変さに疲れ果て、将来の道筋も
定まらず、いわば人生半分も行かぬうちに「迷子」になってしまった
というようなケースです。
 こういう女性の母親たちは大半が専業主婦で、働いていたとしても
パートが多く、彼女たちの生き方のモデルにはなりません。マスコミ
には、苦難を乗り越えて働き続け、企業の役員になったり、自ら会社を
興して成功したりしている50~60代の女性たちがよく取り上げられて
いますが、あれは本当に稀有な例といっても差し支えないと思います。
 そういえば5月22日付けの日経夕刊に「要職の母 目指す娘」という
記事が掲載されていましたっけ。ここに取り上げられているのは、何れも
「大手デパート執行役員の母、一流企業システムエンジニアの娘」とか、
「大手出版社社長の母、都内アパレル企業社員の娘」とか、そんな事例
ばかりで、「男社会をくぐり抜けてきた母の助言は、励ましより厳しさが
あるからこそ説得力を持つ」と言い、仕事で行き詰まった娘に「休日出勤
しても責任を果たせ」と助言する母の話、或いは会社の執行役員就任
を迷っていたとき、娘から「私だけでなく多くの女性の目標になる」と
背中を押されたという話など、まことに羨ましい限りのエピソードが列挙
されています。
 記事は、「最近はキャリアを築いた母親を娘が目標にするケースも
目立ち始めた」とぶち上げていますが、まあ、確かに今まで余り
見られなかったことではあろうし、「目立ち始めた」というのも嘘では
ないにしろ、ごく少数のエリート家庭の話を、こうして普遍化するのは、
いかにも日経らしい書き方だなあと思いながら読みました。
 ともあれ、この記事にあるような「キャリアを築いた」母親の数など、
全体から見ればほんの一握りに過ぎないのですから、結局世の殆どの
働く娘たちは、こんな母親を持ってはいないのです。大半が働きたくても
働けず、当然のように結婚して、家族の世話と日々の家事に明け暮れ、
漠然とした不全感を抑圧しながら生きている世代です。自らの果たせな
かった夢を、知らず知らずに娘に投影しているようなケースもあります。
 上述した電話のケースでも、娘さんは大学を卒業後、某大手の
金融関係の会社に就職し、頑張っていたようです。しかし、30歳を
過ぎた頃から体調不良を訴え、段々会社を休みがちになり、「抑うつ
状態」との診断で休職、結局は辞職せざるを得なかったと言います。
お母さんは「何年も頑張ってきたのに本当にもったいない・・・」と
言ってらっしゃいましたが、娘さんの苦悩は想像するに余りあります。
 母親をモデルにできるごく少数の恵まれた娘たちの陰に、モデルに
なるべき生き方を見出せず、将来の不安を抱えて「壁」の前に立ちすくむ
多くの娘たちがいることを実感します。そしてモデルに恵まれた娘たちの
なかにさえ、件の日経の記事中、信田さよ子氏がコメントしているように、
「仕事も育児もやり遂げてきた母の業績を重く感じる」娘もいるかも
しれません。「モデルがいる」ということも、良いことだけではなく、
苦しいこともあるのです。
 今日の電話のお母さんは多分私と同世代だと思われますが、私たちは
否応なく母親の歩んだ道をモデルとして押し付けられた世代です。それは
それで決して楽な道ではありません。モデルがいることもいないことも、
究極は同じように苦しいことなのかもしれません。
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