諦め

偶然読んだ雑誌に、ラジオのパーソナリティをしている人の
コラムが書いてあった。
家族についてのコラムだった。
彼女は数年前に子供を産んだ時、子供が自分の思うように
ならなくて怒りを感じたのだという。
それをきっかけにカウンセリングを受けるようになり、自分
の気持ちを整理していった結果、子供に対する怒りは、自分
の両親や姉妹に対する怒りだと気付いた。
自分の思い通りに子供を動かしたい母親や、家族に関心を
持たない父親、自分をストレスのはけ口にしている姉(家族
構成が似ていたから、私はライターに転移をしたのだと思う)
、そして今は子供までもが自分を拒むのか、という怒り。
自分を受け入れてほしい、という願望があった、と。
そして、その後、彼女は「家族を一度諦めた」と書いていた。
「家族だから理解しあえる、愛してくれる、そんな幻想が
皆を不自由にしていたのではないか」と。
同じようなことを以前にCSNでも話したことがある。
家族だから、という理由で期待をしすぎるのだ、と。
その期待が、それぞれを苦しめる。
私は果たして「諦め」きれているだろうか、と。
以前のように、「何で?どうして?」というような激しい
怒りや、お互いに理解しあえるなんて幻想は薄らいでいる
気はするが、まだ薄皮一枚くらいが残っている気がする。

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