子供

昨日かなりんに八ツ当たりをした。
八ツ当たりという表現が適当かどうかは分からない。
自分の中に抱えているものを、一人では抱えきれなくなって、
それを表出したかった。
そしてそれはAではなくCで表現しなくてはならなかった。
だって、ラケット感情だから。
自分の中のもやもやとしたものを表現する為には、Aでは
とても表現できなかった。
周りの人がそれを見てどう思うかなんてどうでも良かった。
私の中はCでいっぱいだった。
そして私はかなりんをかなりんとして見ていない。
彼女を私の母親として見ている。
自分の感情を、思いを言葉にするということ。
私にはそれがよく分からない。
何を言葉にしたいのか。
何を伝えたいのか。
言葉にした途端に、私の中にあるものとは別物になってしまう。
自分の中にある原始的なものを言葉にする術が分からない。
自分の中で原始的なものがわきあがってくる。
自分では必死にそれをかき消そうとしているのだけど、
周りからしたら私が何にとりつかれているのか分からない。
何だか熱病にうなされて幻覚をみているみたい。
休職から復帰した後、ずっと肩がこわばっている。
自分が見たくないものを忘れちゃいけないよって、体が教えて
くれてる。
私はそれを外したくて仕方ない。
朝起きたら、今日は外れているんじゃないかって思う。
でも、外れていない。
両肩に重くのしかかっている。
それは母親。
私自身が、勝手に作り上げた母親というしがらみ。
サイコドラマがうまく出来なかった私。
参加メンバーが少ないことにへそを曲げている子供の私。
そのことをうまく出来なかった理由にしている私。
でも最初からサイコドラマをやりきる覚悟なんかなかった。
私の人生。
今までずっと私として生きてきたけど、私は誰の人生を生きて
きたのだろう。
自分の人生と呼ぶには、あまりに淡白で味気ない。
水槽の中の人生みたい。
ガラス越しに自分の人生を見てきた。
まるで他人事みたいに無表情に自分の人生を見てきた。
これを自分の人生と呼ぶには、私にはあまりに悲しくあまりに
重かった。
物語の中の別の人物の人生と思った方がずっと楽だった。
随分長い間、私は自分の中の子供をほっておいてきた。
その子がいくら私の中で暴れても何しても、私には関係ないって
思ってきた。
だって、あなたは私の子供じゃないからって思ってきた。
だからどんなにわめいても叫んでも、「どっか行って」ぐらいにしか
思ってなかった。
暴れているその子の問題よ、って思ってきた。
でも、それは私の問題。
その子は私の子供。
そして、その子を満足させてあげられるのは私だけだ。
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