ここ数日グッと気温が下がりました。秋到来ですね。今はやっと会報第3号の発送も終えて一段落しているところです。出来上がった会報を改めて見直していると、夏の暑い盛りの格闘がついこの間のように偲ばれますが、こう急に冷え込むと冬の到来もすぐそこって感じがしちゃいますね。昨日の講座の後男Nが、「今年の暖房はどうしよう…」とつぶやいておりました。
さて件の会報、会員の皆さんにはもうお手許に届いている頃と思います。お読み頂けましたでしょうか?今回は3面の「特集」に「均等法後~私の場合~」と題した座談会を掲載していますが、そのなかで「仕事と育児の両立」について話し合われているところがあります。そこで「育児休暇の取り難さ」ということが話題になったとき、I.Sさんが「約束が破られることもなく、宅急便が翌日届くこの日本で、消費者の自分と労働者の権利を十分行使する自分とは両立しないのではないでしょうか。」と発言しています。そして「欧米でそれができるのは、他の人の仕事を他がカバーする義務がなく、社会で常に物事がオンタイムで進むことが前提とされていないからだと思います。」と続けています。
確かに生活の中で意識して見直してみると、ひと昔前に比べて消費生活は格段に便利になっていますね。コンビニならずともスーパーさえもかなり夜遅くまで営業しているし、夜通しやっている店も増えました。ファミレスや漫画喫茶のほかに24時間マックなんてのもできてるらしい。宅配便は届けて欲しい日はおろか、時間までも指定できるようになっているし、欲しいものはネットでどこからでも取り寄せられる。お正月やお盆に食料を買いだめする習慣ももはや過去のものになりました。
お正月といえば、よりによって去年の大晦日に我が家の給湯器が壊れ、修理を頼んだことがありました。ちょうどおせち料理にとりかかったところで、まだ仕事が片づかずににばたばたしている私に代わって夫が包丁を握っていました。早速メーカーに電話をかけて「この寒いのに水で料理をしろというのか」と自分勝手な理屈で食い下がる夫に、「さすがに今すぐは無理だけれど、明日一番で伺います」とのご親切なお返事。夫も「まぁ仕方ないか」と渋々了承して何とかその夜を凌ぎ、明けて元旦の朝8時、ピンポーンのチャイムに「元旦の朝っぱらから誰?!」と眠い目こすりつつ玄関に出てみると、約束どおり給湯器の修理の人が来てくれたのでした。このときばかりは「あぁ、日本に住んでてよかった!」と思いましたね。だってこれが欧米のクリスマス休暇中かなんかだったら、3ヶ月くらいは平気で待たされるところでしょうから。
考えてみれば、私が子どもの頃は水道の蛇口からお湯が出るなんて夢みたいなもんだった。それでも祖母や母は料理をし、雑巾がけをし、薪で風呂を沸かしていたのです。今みたいにセンサーを内臓した複雑な構造の家電も少なかったから、修理なんかも素人でもできたりしてたんですね。それが段々便利さを追求するうちにどんどん生活形態が変化し、ここまで来てしまった。それでも企業戦士を専業主婦が支えている時代はまだ何とかなったのだけれど、女性も男性と伍して働く時代になって、様々な問題が浮上してきました。
「育児休暇」というのもその一つですね。「子育ては妻にまかせっきりで…」などと言える時代はもはやこれまで。しかし、ぎりぎりの人件費で最大の利益を上げることに汲々としている企業は、休暇の制度は作ってもそのための人員の手当てはせず、結局は誰かがその分をカバーしなければならなくなる。それが原因で子どもを産む女性と産まない女性との間に対立が起こる、というのもよく耳にする話です。
誰だって消費者としての顔は持っているのだけれど、その便利さの陰にどれだけの労働力がいるのかということは余り考えていませんね。「お客様」としての心地よさを味わうには、それが翻って「労働者としての自分」にはね返ってくることも承知の上でなければなりません。何か欲しいものを手に入れるためには必ずその代償を支払わなければならない、というのは自明の理です。大いなる文明の利器と便利さを享受しながら、自分の生活の不便さは何一つ我慢しようとしない似非エコロジストも多いみたいですが。
十分な育児休暇を獲得できる社会にしたければ、注文した品物が届くのが少々遅くても、深夜に買い物ができなくても、修理がすぐに来なくてもちょっと我慢しましょうよ。世の中全体のペースがもっとゆったりしてなければ、長い年月を要する「育児」なんて仕事はできませんよね。本当に女性が生きやすい社会というのは、きっと男性も生きやすいんだと思います。そのためには少しくらい「便利さ」という代償を支払ってもいいとは思いませんか?
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