タイムスリップ

先土曜日の昼下がり、数十年ぶりに夫と二人でお花見に出かけた。
本当に久しぶりで、ブラブラと多摩川の土手を歩きながら、ポツリポツリと話した。
多摩川には鯉がいたり、カルガモが泳いでいたりで、歩いては川を覗き込んだりしてテクテク・・。
暫くすると、大きな平べったい岩に緑ガメが1匹いるのを夫がみつけた。
不覚にも私は「甲羅がひやがっている!」と言ってしまい、
夫は「違うよ。あれは甲羅干ししてるんだよ。」と、ゲラゲラ・・・。
夫も私も同時にヤドカリの事を思い出していた。
子供達がまだ小さい時に家族で海に出かけ、大きなヤドカリを1匹連れて帰った事がある。
まっ白くて、とても美しいマキガイの宿を持っていた。
二人の子供は、まだ小さく手がかかっていた。
私は当時、バリバリの臨床検査技師で毎日が時間との戦いの日々だった。
その日は当直開けで、昼間帰宅すると子供と一緒にあっという間に、疲れて眠りに落ちた。
すると、会社にいる筈の夫が自宅に電話をして来た。仕事人の彼にしては珍しかった。
「今日の暑さじゃ、ヤドカリが可哀そうだから、ベランダから部屋の中に入れて置いてくれ。」
確かにそう言われたのを、私は覚えていたのだが、疲れていて夢の中。
数時間後、ハッとしてベランダのヤドカリを見た。
するとガサガサと動いていた。ホーッとした。
すでに太陽が沈みかかっていて、今さら部屋に入れても仕方がない。
と、思いそのままにしておいた。
その日の夜遅く、夫は帰って来るなり、ヤドカリの水を代えようとベランダのヤドカリを見た。
「お亡くなりになっている。部屋の中に入れてくれと頼んだのに!」
「えっ、気がついた時には元気良くガサガサ動いていて大丈夫だと思ったんだけど」
「それは暑くて死にそうだから、貝から外に出ようと苦しんでいたんだよ!」
「えーっ。ごめんなさい。知らなかった。」
確かにヤドカリは渦巻き貝の外に出てお亡くなりになっていた。ど~しよ~。
どうにもならなかった。
それ以来、夫は時々ヤドカリの事で私を冷やかす。
桜吹雪の中、1時間半位歩いて、やっと以前、私の勤務していた大学病院に着いた。
大学病院の前に有った、美味しいウドン屋さんを訪ねるのが一つの目的だった。
しかし、随分来ない間に違うお店になっていた。
ガッカリはしたが、久々に見る大学病院は非常に懐かしかった。
病院を眺めているうちに、瞬く間に苦しかった過去にタイムスリップしてしまった。
正面玄関の隣が緊急センターで、その間に職員のタイムカードが設置されていた。
毎日、守衛さんに挨拶しながらタイムカードを打刻するのが習慣になっている筈だった。
ところが、ある日、タイムカードを押し忘れた。
最初は、そんな事も有るだろうと気にしなかったのだが・・・。
でも朝、気を付けて押しても、帰りを押し忘れる日々が続き、ついに技師長に呼び出された。
「どうかしているぞ!タイムカードを押し忘れるなんて!」
今から思うと鬱だったのだろう。
子育てと家庭不和、親戚の金銭トラブル、嫁・姑問題などの問題が山積みになっていた。
ルーチンワークに日当直・後輩の育成・医局との接触・講習会などの激務で、当然、睡眠不足。
大学病院を退職して専業主婦になる決心をするまでに、時間が、かかりすぎた。
理由は、色々有るが、一番の理由は検査の仕事が好きだったからだ。
自律神経不良の為、勤続14年目に退職した。
退職後、1年間は微熱と目まい、耳鳴りに悩まされ、ストレス性胃潰瘍は完治するのに10年
もかかった。
検査技師に復帰するのは絶対にないだろうと思っていた。
退職後、問題は一つ一つ解決し、子供も特に問題なく成長していった。
そして、時間が自由に使えるようになった私は、色々な職業を少しずつ経験した。
その結果、適職は、やはり臨床検査技師なのだと痛感し退職後14年目に復帰した。
経験豊富な検体技師ではなく、学生の時しか経験していない生理検査技師として、現場に
出るのは、かなりの勇気と努力が必要だった。緊張の連続で何度も情けない思いもした。
しかし復帰して3年経った今、私は、やっと桜が美しいと感じられるようになった。
今の私は最先端の検査技師という訳には行かないが、自分らしく技師として働ける毎日を、
とても幸わせだと感じている。又、苦しかった出来事が懐かしい思い出に変わった事に感謝している。
来年も又、「割れ鍋に綴蓋だね」と夫に言われながら、桜並木を二人で歩きたい。
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