昨夜から?マークが脳裏から消え去らない。
脳内メーカーのイメージで?????が渦巻く。
事の始まりは昨日、CSNでの論議に遡る。
「認知の歪み」の話から始まった。
森田療法は認知行動療法とは全く違う・・という言葉に
自分の中で「?」マークが出て止まらない。
随分前に森田療法の本を何冊か読んだ事が有る。
私の中での森田療法は既に「認知行動療法」の一種だという
捉え方になっていた。
そのように考えるようになった理由は幾つか有るが特に直結した
のは作業療法の中に日記が取りいれられているという事だった。
クライエントが日記を付ける事で「認知の歪み」に気づき行動を
変えていくという試みがなされている事が印象に残っていた。
森田療法は別名、家庭療法、不問療法、「あるがまま」療法、練成
療法と呼ばれている。神経症(不安症)は病気ではなく、悪い生活習
慣病が身についた悪い癖だと考えていたようだ。
人間は皆「生の欲望」を多かれ少なかれ持っていて神経症になりや
すい人は「生の欲望」が健康人以上に増加していると森田先生は仮
底した。一般に神経症は出世型の性格の持ち主だと言われる。
物事によく気がつき、完全欲が強い。負けず嫌い、細心、取り越し
苦労が強い。病的になると劣等感の塊のように見えるが、裏を返せ
ば己惚れが強く、優越感も強い。
この精神的エネルギーを建設的に使えば、失敗も少なく立派な仕事
を成し遂げ、結果的に出世する人が多い。
しかし自分の性格や心身の変化に拘りだしたら大変になる。
森田先生は神経症の人達はもともと正常な変化を病気と考え、治そう
と懸命になるのだと考えた。神経症が治ったというのは、正常な変化
を正常だと自覚する事だとしている。
森田療法はそれ(認知の歪み)を体験的に理解させる操作だとされる。
上記のような操作は広い意味で認知行動療法と言えるのではなかろう
か?と私は疑問に思っている。
森田療法に関しては、自分が神経症(不安症)を持っているという事
も有り、共感できるところが多い。
「あるがまま」この言葉も脳裏に残る。
仏教では十界論という言葉がある。人間の感情は縁に触れて醜いもの
から崇高な命まで変化するという事だと思う。自分の心の中にドロドロ
とした欲望は誰しも持っていて捨て難いものだ。無きものにしたくても
ヒョッコリ顔を出す。禅で言われる「無」の境地とは如何なるものか?
ここまで考えると???で脳が埋まって思考停止状態。
内容が深すぎて今日中に???は消せそうに無い。
ここらでストップ。それこそ認知の歪みがさらに認知の歪みを増幅しそうだ!
森田療法を東洋的認知行動療法と言ったり、私の様に疑問に思っている人も
いるようだという事だけ付け加えて置きたい。
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