アメとムチ

 昨日第6期の「交流分析(TA)学習講座」が終了しました。
前期から新たに「自己脚本分析シート」を導入して、最終回の
テーマである「変容のための再決断」に活用することを試みて
います。
 「自己脚本分析」は、これまで学んできたことを総動員して、
自分がいかなる「人生脚本」を持っているかを明確にしていく
作業です。そのうえで「こうでありたい自分」を想定し、それを
実現するための具体的な行動に落とし込んで、「決断」という
形で発表する、という手順を踏みます。
 重要なのは「分析」そのものではなく、その分析を「どう日々の
生活に活かすか」です。その日の「決断」が「絵に描いたもち」
で終わってしまっては、何の意味もありません。
 昨日感じたのは、「決断」から「行動」へというプロセスの間に
「動機づけ」という問題が隠されていることです。人間が行動を
起こすためには、何らかの「動機」が必要です。そしてその
「動機」が、「面倒くさい」とか「やる気が起きない」とかいう
行動を疎外する感情よりも強く大きいものであることが必要です。
 この「動機づけ」については、「大人のための勉強法」(PHP新書)
という本を書いた精神科医の和田秀樹氏が、その「パワーアップ編」で
面白いことを言っています。氏によると、学習の動機づけに関する
教育心理学の理論としては、外的報酬を重視する「外発的動機論」と、
内なる学習意欲をより大切にする「内発的動機論」とがあって、
1950年くらい迄は前者が有力でしたが、60年以降になると
それへの反発から後者が台頭してきて主流となったとのことです。
現在でもその潮流は続いていて、文化的環境における方向づけ
とか、外発的動機を内化するプロセスが重要視されいるようです。
更に子どもたちの学習動機に関する調査でも、「内発的動機」を
持っている子どもの方が成果が上がる」という結果も出している
そうです。
 しかし皮肉なことに、世界での教育的潮流は「外発的動機」を
重視する方向に変わってきていると言います。かつては勉強の
楽しさや生徒の自主性を重んじる教育を行っていたアメリカや
イギリスの教育は悉く失敗に終わり、数学や言語能力に著しい
低下をもたらしたという結果が数値とともに報告されています。
こうした「内発的動機」を重んじる欧米の教育に倣った形で
始められた日本の「ゆとり教育」が、今や「失敗だった」と言われる
のもむべなるかなですね。
 こうして国際的な教育政策が「外発的動機」をより重要視する
方向に傾いているのに加えて、精神分析や治療医学の流れも
同じような傾向にあると言います。精神分析の祖フロイトは、
「人間の根源的な動機は本能的な欲望を満たすことにある」と
主張した典型的な内発論者でしたが、その後、人間を他者との
関係性のなかで捉え、「人間は劣等感の補償を目標に生きる
のであり、それが行動の動機づけとなるのだ」という理論を
展開したアドラーをはじめ、対象関係理論を提唱したフェアバーン、
母親との「分離不安」に人間の不安の根源を見るボウルビーと
いった、関係志向や愛されるという報酬を求める報酬志向の
「外発的動機論」を唱える学者が次々と現れています。
 決定的なのは、独自の自己愛理論をひっさげて、精神医学界に
旋風を巻き起こした、かの自己心理学の巨人ハインツ・コフート
の登場です。彼は、「人間というのは誰しも人にほめられたい、
人に頼って安心感を得たい生き物なのだ」と主張します。
フロイトがこうした自己愛は幼児期のもので、それが解消して
「対象愛」に移行しないのは発達的な問題があるからだ、と考えた
のに対して、コフートは、大人になってもこうした欲求を持つことは
別に異常ではなく健康なのだ、という全く新しい「自己愛」の概念を
提唱しました。
 コフートは実際にこの理論に従って、患者に起こる様々な治療者
への転移を利用し、それを活用することで大きな成果をあげている
と言います。つまり原初の親子関係で問題を抱える患者が抱く
「治療者にほめられたい、認められたい」という患者の欲求に共感し、
それを叶えることで症状を軽減していくのです。ここでも「自分の
傾倒する人に認められ、ほめられる」という、行動への「外発的な
動機」が推奨されています。
 和田氏は認知行動療法の専門家ですので、従来の精神分析的
手法には批判的です。その点は、精神分析の世界で長く冷や飯を
食わされ、その反発から交流分析を創始したバーンも、50年代の
人とはいえ和田氏の主張と通ずるところがあるかもしれません。
「交流分析」が「精神分析」を基礎としながら、非常に他者との
関係性や行動を重んじるのも、旧弊な精神分析の手法への
アンチテーゼでもあるでしょう。こうして考えてみると、最後の
「変容に向けての行動の決断」には、「脚本からの脱出」という
一見内発的な動機を掲げながら、「他者から承認される行動」
という「外発的な動機」を必要とすることが見えて来ます。
 特に最後の行動決断において、「他者から見える行動でなければ
ならない」とされているのは、「心の中で何を考えているのかより、
やるかどうかの方が大事」とされる行動主義の考え方そのものです。
一時は下火になったものの、その効果の高さから90年以降に再び
注目を浴びるようになった行動療法ですが、和田氏の言うように
「病的な人間を社会適応させていくためには、外的な動機づけが、
実は非常に重要なものだという考え方に、精神医学界全体が
変わりつつある」というのは事実のようです。
 俗に「アメとムチ」とも呼ばれる「外発的動機づけ」が、世界の
教育界や精神医学分野で主流になっているとすれば、きっと
かなりの効果が認められるからでしょう。TAでの「変容のための
行動」にもそれが有効かどうか、是非探ってみたいところです。
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