交流分析(TA)が差し出してくる概念は、私たちの生き方や生活にダイレクトに役に立つ。
そのなかでも「脚本」の理論は際立って有用で面白い。
TAの創始者エリックバーンは、「脚本とは、誰もが無意識のなかに持っている人生計画」だと言う。
「誰の人生にも予め決められたストーリーがあり、知らず知らずのうちにそのストーリーをなぞって生きているのだ」と、こちらが「へええええーーー!!」とのけぞりそうなことまで平気でのたまう。
「まさか、映画やドラマじゃあるまいし、人生に脚本なんかあるもんか!」
そう思うのもむべなるかな。
ではあるが、この「脚本」、人が生まれてすぐに書き始められ、ごくごく幼い頃に筋書きと結果を決めたというのだから、大人になった今、覚えているわけもなく、無意識のページに追いやられて意識に上ることもない。
しかしその人生プランは成長に伴って更新され進展する。そしてそれは全て無意識の中で行われる。
だから人々は全くその存在に気づかない。
バーン先生は「脚本に気づかない人は一生をそのストーリーに翻弄されてしまうのだ」と恐ろしいことをおっしゃる。
例えば人気絶頂の芸能人やスポーツ選手の覚せい剤乱用事件。
はたまた、都心の繁華街で起きた無差別殺人事件。
教師や警察官のわいせつ行為や、公務員の汚職etc.etc…
数え上げれば「脚本」の関与が推察される事件は枚挙に暇がない。
こんな大仰な犯罪行為ばかりではなく、私たちの身近にも「脚本」はしょっちゅう出現する。
ここぞという大事な日に限って遅刻して来る同僚のAさん。
今度は違うと言いつつ不実な恋人とばかりつき合う友人のBさん。
身体の不調に目をつぶって倒れるまで働くことをやめない先輩社員のCさん…
性懲りもなく同じ失敗を繰り返すのは、そう、これすべて「脚本」のなせるわざ。
かくいう自分も振り返れば何かしら思い当たる。
「脚本」の土台となるのは、親によるプログラミングだ。
生まれてすぐに、あるいは胎児の頃からでさえそれは始まっている。
そのプログラムは、親との交わりを通して様々な形で子どもに受け渡される。
言葉や態度で投げかけられる指示や命令、親の感情から生ずる威嚇や罵倒、皮肉や嘲笑…
子どもは日々繰り出されるこれらの刺激に少なからず影響され、ごく早期に自らの人生の筋書きを決めてしまう。
前述のAさんは、何事も几帳面な父親から「お前のようなだらしない奴にちゃんとできるはずがない」というメッセージを受け取っていたかもしれない。
Bさんは、横暴な夫に唯々と従う母親に「どんなに虐げられても独りぼっちより誰かといた方がまし」という生き方を見せられていたのかもしれない。
Cさんは、上昇志向でプライドの高い両親から「お前みたいな無能な奴は限界まで努力しなければ認めてもらえない」と思い込まされていたのかもしれない。
「脚本」を促進させるプログラムは、今この時も進行中である。
そして人生の最も重要な場面での行動を支配するべく待ち構えているのだ。
うかうかしてはいられない。
あなたの一度きりの人生を「脚本」になぞ籠絡されぬよう、こう自分に問いかけ、即座に分析に着手することを決断して頂きたい。
「さて私は、幼い頃に親からどんなメッセージを受け取り、自分の中にどんな脚本を育てているのだろうか?」(S.K)