半端という心残り

ロンドン五輪へ向けた競技が真っ盛りの中、
私は連日、テレビでバレーボールの試合を見入っている。
今もちょうど男子の対オーストラリア戦が終わり、
強豪と呼ばれる相手に日本のストレート勝ちという結果に、
やや興奮気味です。
昨日の対中国戦が散々だったので、
今日の日本勢の華麗なるプレーの連続に、
私はしびれっぱなしでした。
キレのあるサーブ、粘りのあるディフェンス、
技術が光るスパイク、相手の動きを読んだブロック。。
今季活躍しているメンバーの中には、
前回の北京五輪で出場経験がある選手がおり、
その時の結果は11位に終わってしまったが、
この北京五輪出場を果たしたことこそ、
日本、特に男子バレーの復活を印象づけるような感じだった。
そうは言いながらも、この4年は、
正直バレーボールの試合を観ることはなかった。
バレーボールは、私の傾向の一部を象徴する
少し特異な位置づけになっているのだ。
なので、バレーボールをスポーツ観戦というより、
私の性格傾向に気づいてしまうから、見たくないのかもしれない。
そう、私は中学のときに部活動でバレーボールをやり、
一年ちょっとで辞めてしまった経緯がある。
このときは今ほどの関心はなく、むしろ辛かった。
バレーボールという部活を選んだのは他でもない、
当時仲良かった子が入部した。それだけだった。
その子が半年くらいで退部すると、
私はバレーボールをやる楽しさや目的がわからず、
適当な言い訳をつけて辞めたのだ。
時が過ぎ、30歳を迎えるころだったろうか、
ふとテレビで試合を観て、バレーボールをやってみたくなったのだ。
触発されたといえばそうだし、中途半端に辞めた心残りだったのか、
明らかに、中学の部活動の入部動機とは別の、
やってみたいという気持ちが強かった。
そして、サークル活動をしているところを探し、
体験練習に参加したり、チーム試合にも出た。
中学の頃にちょっとでも関わったスポーツというのは、
意外にもカラダが覚えているような感じはしたが、
やはり一年程度の経験では、
お世辞にも昔の杵柄とは言えないプレーだった。
そこから練習に打ち込むこともできたが、
でも私はサークルを続けることは選ばなかった。
バレーボールは、物事を中途半端にやめる傾向にある私を、
象徴しているスポーツになった。
今回の世界予選試合で選手たちは、
「五輪への切符を手に入れるために4年間練習してきた」
「前回の五輪は先輩につれていってもらったから、こんどは自分らが」と、
どんなプロ選手も日々の練習、半端にやめないことを貫いたからこそ、
今の華麗なプレーが生まれているのだ。
私がバレーボールを通じて見える自身というのは、
半端に投げ出してしまったことの重さだ。
それを、今更ながら痛感しているからだろう。
半端になるならなるで、とことん半端になればいいのに、
それもできないから始末におえない。
そうは思っても、バレーボールを観る高揚感は、
私のなにかを奮わせるのだ。
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