通い続けて見えたもの

事業所への通所が、残り一週間を切った。
4月から通い始め、基礎訓練やグループ学習、個人課題をこなし、
来週からは数年ぶりに就職という意味での社会復帰となる。
わずか半年なのに二年近く在籍したような濃さがあり、
この間に様々な感情や思考との戦いがあった。
戦いといっても目に見える勝敗があるわけでもなく、
「とにかく通う」という行動のみだった。
私の行動は、何を原点にしたのか。
それは以前のワークでも話したが、
3.11で「いつでも今が続くことはない。やれることはやる。」という思いや、
昨年の今頃に恋をした相手に、正々堂々と振る舞えなかった思いがある。
しかしなんといっても、
CSNとの関わりに端を発していることを抜きにはできない。
特にドーナツ工房「縁」のへの関わりは、
私が体調を崩したということでリタイアし、
その後の過程を見るにつけ、私は脚本に浸かっていたのだ。
リタイアするのは簡単だ。
こころが擦り切れた糸なら、いっそプツリと切ればいい。
しかし皮肉なことに、
そのように切った糸は絡み合ってほどけなくなり、
かえってどうにもできなくなってしまう。
そして自分で切ったということに、苦痛が伴うことも。
確かに疲れはあったかもしれないが、
そこで関わりを断ってしまった私が許せなかった。くやしかった。
何かをやりたいにしても、
そんな中途半端なことを繰り返していては、
いつもこころはほどけないままだし、
切ることをするからいつまでもたっても紡いでいかない。
糸を切ってしまう前に切りたくなるのを抑える力を、
糸が擦り切れそうなら何重にも巻き直して補修するという術を、
自分なりに身に着けたい。
そして踏み込んだのは、事業所だった。
なにがなんでも通う。
紡がない自分、切ってしまう自分を知るからこそ、
私には通うしかなかった。
その繰り返しこそ、いつしか術になり力となったのだ。
まさしく、四十にして立つそのもののようです。
事業所を卒業できたのは自分の力でもあるが、
それを支えていた職員や訓練生の存在を、私は忘れたくない。
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