昨年末のCSN忘年会の日は、
あいにく職場の納会&送別会が重なった。
そのため私は二次会からの参加を申し出、
一次会参加メンバーからその様子を聞くことにした。
その中で非常に印象深かったのは、
「人の役に立つ」というフレーズだった。
席上での話しの成り行きは色々あったようだが、
私もふと「人の役に立つ」とは何かを考えた。
あれこれ考え単純だが、
「私がこうすることで相手が喜んでくれる」が、
フィットしたイメージだ。
職場を例にすると、
複合機に受信されているFAXを宛名の人へ手渡して、
「ありがとう」と言われる。
私がある既存のデータを加工して使いやすくし、
「ありがとう」と言われる。
「ありがとう」の言葉には、
私なりに嬉しい気持ちを感じるわけだが、
それは「役立つ」という点では、
自身が満たされていることになるのだろうか。
データの加工は、一見使いやすくさせたという点で役立つが、
ある人にとってはそれが逆に使いづらくなることもある。
それはデータをこのように加工したという自己満足はあるが、
そこに相手の要求がどれだけ介入されているのかが必要だ。
FAXの場合は、破損したり相手を間違えなければ、
「持ってきて」と言われない限り、
相手の要求というのはそれほど介在しない。
私は「誰かの役に立つこと」は、まんざら悪い気がしない。
むしろ、嬉しくなるほどだ。
そう思う心の裏には、私の何かがあるだろう。
「誰かの役立つことを考えるなら、自分を本気で見ろ」という、
直接ではないがそう話したというT先生の言葉の真意が、
果たして私にはどうなのかと考えたからだ。
自己満足のデータ加工と、実際的なFAX持参。
さて、私はFAXを持参することにも「役立ち」を
どれだけ感じられるのだろうか。。