一年ぶりに、両親と横浜の叔父を訪ねた。
今回、叔父を見舞うことに気が重かった。
昨年の出来事がひっかかっているからだ。
昨年見舞ったとき、
父は当時のヘルパーにほんの挨拶から自身が闘病したことを話した。
それもただひと言「患った」と済ませばいいものを、
なんだか細かく経緯を話していたのだ。
私は父がなぜそんな話をしたのか理解できない。
何かしらの不安なのか、それとも日ごろの不全なのか。
そしてそのヘルパーも、
自身の子が父と同じ病を患っていることまで明らかにし、
それは大変だと父は同情する様子を見せていた。
黙って横になっている叔父をよそに。
父は自身が通っている病院を紹介し、その後電話で何回かやりとりをしたらしい。
しかし病の進行が早すぎて、紹介した病院まで行くことはなかったという。
最後は「ここまで話せたのは初めてです」という手紙をもらっていた。
それをこんなことがあったと話す父に、私はほとほとあきれていた。
どっちが見舞われてるんだかわかりゃしない。
叔父を見舞うなら、叔父の話し相手になってやれよと。
そんなことがあったせいか私は今回見舞う際、
昨年のヘルパーが担当ならどう対処するのかそれなりに考えてと、
父を軽くなじった。
しかし私のそんなことは杞憂で、担当のヘルパーは代わっていた。
叔父は「昨年のヘルパーさんは来ないよ」と言った。
ただ担当が代わってだけなのかさだかでないが、
少なくとも年に一回という見舞いの場の後味は、
とても苦々しく感じた。