ふたたび、電車に乗っていたときの出来事。
私が乗った電車は信号機トラブルの影響で、
ある駅でしばらく停車していた。
私はドア近くの席に座り、
そのすぐ傍で三人の高校生とおぼしきグループが、
スナック菓子を食べながら大声で談笑していたのだ。
聞きたくもない話が耳に入り、
自ずとどんな会話をしているのかもわかった。
お菓子の香りが鼻につき、鬱陶しい気分だ。
すると三人のうち一人がホームへ降り、
こともあろうかタバコを吸おうとしていた。
おいおい学生の分際で、
ましてや駅構内でタバコを吸うのかよと内心思っていたところ、
「タバコなんて吸うんじゃねぇ」と、
その学生グループの一人が仲間の行動をたしなめたのだ。
私はさっきまで「鬱陶しい」と称していたのに、
その一喝により「ちょっといいグループ」に変わった。
グループというのは時として妙な仲間意識が働き、
マナー違反等社会的に反することへの行為を容認してしまいがちだ。
私の場合、自らの指摘によって相手の感情を刺激するのではという懸念に、
ひどく恐れを抱いてしまう。
だがそのことに支配されるより、沸き起こる感情を吟味し表現するほうが、
自身の気持ちを尊重する点で大切だと考えている。
もし相手が駅のホームでタバコを吸おうとしたとき、
「ここで吸うな」と言えるのか。
「いいじゃん、別に」と返ってきたら、それはどうなのかと話せること。
感情に囚われながらの発言は、不思議と相手の感情を刺激した応答になる。
私なりの考えがしっかりして感情を捕まえていれば、
たとえ相手の感情を刺激しても恐れることはない。
考えを通して、表出している出来事にアプローチできるからだ。
そうは言っても、いざその場ではむずかしいけど。。。
この学生グループのそれぞれがどんな思いでいたかわからないが、
相手に対して注意できる関係というのは、
ただ容認してしまうよりもちょっといいグループのように思えた。