台本

みなさんこんばんは、 ピンチヒッターブロガー405です。 今夜はピンチヒッターというより、 自分から監督にアピールをして出場した次第です。 数年前、自分は初めてエンカウンターに参加をし、 そのときに「人生には台本があり、人はそれを演じていると思う」と、 発言をしました。 例えば、 あの時あのように言っておけばよかった。 なんでこのタイミングで、この電車に乗ったのだろう等 善悪、喜怒哀楽を含めた生活のひとつひとつの出来事や感情が、 どこか自力ではなく必然とも違う何かによって言わされ、動いている。 言うなれば、人生台本を演じているように捉えていた。 人が生きることは、 あらかじめ用意されていた台本を、ただ演じているにすぎず、 出来事に対しての反応すらも、台本であると思っていた。 今思うと、人生で起きる出来事や感情に対して、 自分の力で決断したことに行き詰まりや否定感を感じ、 自分の人生を「台本を生きる」という形にすることで、 出来事に対する全ての言動や感情を、肯定したかったのかもしれない。 時は流れ現在、 自分の考えの中には「台本を生きている」ということが、 いつのまにか消えていた。 そのかわりに「今の自分の感覚」が強く意識されていると同時に、 その感覚を大事にしようとしている。 今この場の出来事で何をしようと、何を感じようと 自分が過去の出来事で必死に思い悩み、決断をしたことが、 今という集大成であり、そのことにより、今という出来事に瞬間を感じ、 発し、動いているのだと思うようになったからだ。 1分後、1時間後、明日には、 そのときどきとしての出来事が起こり、 きっと今とはまた別の感情が湧くであろう。 でもそれは、そのときに感じればいいと。 今日という日にブログを自分で書きたいと思い、 この内容を選び、文章で表現し、あとになってあぁ書けばよかったと 思うことも含め、自分は今この瞬間瞬間に、感じたことを残している。 今、台本という言葉をあえて使うなら、 「今こうして台本を自分で残している」ということになるのかもしれない。
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