地球はワタシが廻す

地球は自分を中心に廻っている
そんなことは、社会現象や政治の立場で捉えれば
そんなことはないのだけど、
でも日常の生活では、それほど否定することではないのだろうか。。。
自分自身、この世に誰一人同一人物がこの地球上に存在していなく、
自分自身を他者の目で自分自身を見ることができなく、
それは思考や感情も同じ。
例えば「東京都中野区にある中野駅北口タクシー乗り場2メートルのところ
午前1時9分にいる自分」まぎれもなくそこにいるのは自分、
でもそこに「いる」事実を他者の目で見ることはできない。
その場所にいるのは自分だけど、
そこに結びついた日常行動の一瞬は、自分中心ではないのか。
その基軸というのは、多くの惑星の地球のアジア地域の日本の
東京の中野の中野駅北口にいる自分が、
その場所にいることを選んだというのもあるけど、
今いる自分の場所を中心として、地球に存在している自分という意識も、
働くことがある。
それは社会情勢や環境問題等に無関心というのは違い、
それによりふって降りかかることは、
その人その人の中でそれぞれ違うものであるということ。
それが「ワタシ」という一人の人間の在り方。
自分にとっていいこと
自分にとってイヤなこと
自分にとってつらいこと
自分にとって悲しいこと
自分にとって腹たつこと
そんな自分の感情を中心にしてあらゆる出来事を見てみると、
意外と地球は自分によって、、、
いや自分の感情によって廻っているような。。。 とするなら、
自分を中心に地球は廻っているようなものだな と感じます。
「自分を中心に地球が廻る」って、
意外とネガティブなイメージになりがちだけど、
ネガティブというより、それだけ自分の感情を大事にしていることと
紙一重なのかもしれない。
自分はこの先の世界や地球を、どう廻していくのだろうか。。
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