「世間」ってなぁに?

はじめまして。F子と申します。
本日からブログを書かせていただきます。
自己紹介としては…
えーっと、都内某所でSEをしております。
年齢は世間一般的な言葉で誤魔化すとアラサー(なんて便利な言葉だ!)です。
タイトルにあるようにボーダーっ気があるらしいです。
まあ、そんな感じでどうぞよろしくお願い致します。
いきなり本題。
先日、実家の母から電話がありました。
伯父(母の兄、自営業者)の6年に渡る従業員との浮気が遂に伯母にばれたそうで
母の周りは大騒ぎだとか。
母は伯母に呼び出されて3時間に渡ってうだうだ言われて疲れ果てたとか、
まあ、そんなお話でした。
母が疲れたポイントというのが面白いものでした。
伯母の話の内容よりも、伯母の話から透けて見える
「世間に『良妻賢母』として評価されたい」という
激しい主張に疲れ果てたらしいのです。
(まあ、そりゃあ疲れるよなぁ…)

「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな」
 世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、
「世間というのは、君じゃないか」
 という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。
(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)
 汝(なんじ)は、汝個人のおそろしさ、怪奇、悪辣(あくらつ)、古狸(ふるだぬき)性、妖婆(ようば)性を知れ! などと、さまざまの言葉が胸中に去来したのですが、自分は、ただ顔の汗をハンケチで拭いて、
「冷汗(ひやあせ)、冷汗」
 と言って笑っただけでした。

太宰治が『人間失格』の中で上記のように書いていますが、
「世間」という言葉は自分の中にある「価値観」を外出しするのに
非常に便利なものなのだなと思います。
伯母は自分で自分のことを『良妻賢母』と思いたい気持ちが強く、
そこに縛られ続けた人生送ってきたんだろう、
そして、その価値観の中で死んでいくんだろうと思います。
そういう人生って楽しいのだろうか。
あれ、この話から翻って、私の人生はどうなんだろうか。
なんだか胃が痛くなってきたので、今日はこの辺で。
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