夏の盛りに

 いよいよ私のダイダイダ~イ嫌いな夏が本格的にご到来。
朝起きて「今日も夏だ」と思うだけで気が滅入る。
ただでさえ不調な朝は、クーラー当たりでだるさもひとしお。
 今日一日のオフとはいえ、
家事など一切する気にもなれず、
新聞をポストに取りにいく気にさえもなれず、
かといってまとまった本を読む気になどもさらさらなれずに、
気だるさと所在無さが入り混じったような気分で、
昨夜読みさしたままテーブルの上に放り投げてある
雑誌を手に取りました。
 そしたらいきなり曾野綾子氏の巻頭エッセイで、
こんなセリフに出くわしました。
 「僕は結婚式は嫌いだね。一月か二月すると
もう別れたいと言ってくるのが多いんだから。
しかし葬式はいいね。葬式は完璧だ。神の元に
送り返すんだから」
 長崎はコンベンツァル聖フランシスコ教会の
坂谷豊光神父のお言葉だそう。こういうセリフを
吐くには、相当の年季と骨がいりますね。
 そこで少しシャキッとして、そのエッセイを
読み通しました。それは、主に著者夫妻が頼まれ
仲人をし、後に幼い子どもを連れて離婚した
安井浩子という女医さんの話でした。
 彼女は離婚しても職はあるし、子どもをみてくれる
両親も健在で特に困ることもなく、幾つかの病院に
職を得て働き続けてきました。しかしある日、離れた
地で学生生活を送っていた息子が交通事故で突然
亡くなってしまいます。その後病院を退職し、一人娘
として両親を見送った彼女は、東京の自宅を売り、
自分の本拠地は軽井沢の山荘だけにして、去年
渋谷の道玄坂に週末診療をする医院を開いたとの
ことです。そして「若者達の町渋谷で、彼らの満たされて
いない心の状況を、いつか打開するための働きもしたい、
とも言っている」のだそうです。
 エッセイではベトナム難民から日本の医師となった
武永賢氏にも触れています。彼もまた、安井氏と時を
同じくして、新宿の繁華街に週末も診療する医院を
開いたとのことです。
 家族を全て失った孤独な境遇のなかで、なお周囲の人々に
目を向け続ける初老の女医と、祖国ベトナムでの辛酸を
なめ尽くして再び人生に挑戦しようとする青年医師とが、
「申し合わせたのでもないのだろうに、まず日本で人々が
病気になっても見てくれる医師が少ない時間の空白を埋める
ために働きだした」のです。
 曾野氏はこのエッセイの中で、氏が「余生を途上国での
医療活動に捧げ、そこで生涯を終えてください」と声をかけた
という4人のことを書いています。
上記の2人の他に、日本ではライの第一人者であり、
国立療養所・長島愛生園園長を務めた医師中井栄一氏、
そして、南アのエイズ・ホスピスで長年患者と暮らし、
エイズの末期患者からうつった結核で今年命を落とした
根本昭雄神父です。「神父は私が頼んだように、殉教の
道を全うした」と著者は書いています。
 安井医師と中井医師は、曾野氏が日本財団時代に
行ったアフリカの貧困調査旅行に自費での参加を
呼びかけられて応じています。曾野氏は2人に
「お2人とも長い間思う存分仕事をしてきて、一応一生
食べるくらいのお金にも困らないでしょうから、残りの
人生を途上国の人たちのところで人助けをして、そこで
死んでください。そのための下見旅行にきてください」
と言ったのだそうです。それも「自費で」です。
こういうセリフも年季と骨がなきゃ、そうそう言えたもんじゃ
ありませんね。
 「もちろん、自己の運命の第一責任者は自分だ。ただし
周辺もそのために働いている。良いことも悪いことも、望ましい
ことも望ましくないことも、健康も病気も、悲しみも喜びも、
なぜか平等にそのために動員される。要はそれらの要素を、
当人が使いこなせるかどうかだけだ」と著者はエッセイの
最後に書いています。
 夏ばてでたるみ切った身体と心がシャキッとするためには、
このくらいのことを言ってもらわないとだめですね。
さあ、私も自分の中の全てを動員してダ~イキライな夏に
立ち向かいましょうか。
(文中の「」内は、新潮45・8月号掲載、曾野綾子著「夜明けの新聞の匂い」より抜粋)
 
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