「闘う」ということ

 昨日の日経読書欄に、東京大学松井彰彦教授の
「『蟹工船』ブームの背景をさぐる」と題した論説が
掲載されていました。お読みになった方もおられると
思います。
 時を同じくして私はアトレ有隣堂書店で買ってきたばかりの
「フリーター論争」(人文書院)という本を読んでいました。
 その本の中の1.「フリーターの『希望』は戦争か?」と題した
鼎談に、かの赤木智弘氏が参加していました。
2007年1月号の「論座」に、「『丸山眞男』をひっぱたきたい 
31才、フリーター。希望は、戦争。」という一文を寄稿して、
注目を浴びた人物です。
 氏は、「『平和』『総中流』というフィクションの下に、
高度成長世代/氷河期世代の間の格差が見えない
ものとされている限り、すべてを『ロスト』したフリーター
世代は、先行世代の既得権を根本的に破壊し社会を
流動化させるための《戦争》を望むしかない」と宣言し、
物議を醸しました。
 因みに上記の鼎談に出ているのは、全員超就職氷河期
世代の75年生まれという、元右翼のフリーライター雨宮処凛氏、
有限責任事業組合「フリーターズフリー」の杉田俊介氏、そして
赤木氏の3人です。畢竟赤木氏の論文を巡っての談義になって
いるのですが、そのなかでちょっと気になったことが2点ありました。
 赤木氏の論文には当然様々な反論があったらしいのですが、
それに対して氏が「誰からも『ごめんなさい』とか『申し訳なかった』
とか謝ってもらえなかったのがひっかかった」と言っているのですね。
いやはや、やたら過激に「希望は、戦争」とかぶちあげておいて、
「謝ってもらえない」はないだろ!って思わず突っ込み入れちゃいました。
それが一点。
 もう一点は、杉田氏が赤木氏に対して指摘した、「両親に対する
執拗な憎しみと罵倒」。論文のほうでは、「親も地元も嫌いで」と
ドライにスルーしているけれど、10年くらい続けているブログでは
物凄いらしい。杉田氏に「そのことに赤木さんの無意識の何かが
あるのでは・・・」と言われて、「どうですかね、少なくとも自分は
そこに何かあるとは思わないので・・・。新しい視点だと思うので
ちょっとここでは・・・。」とそれまでの饒舌から一挙にトーンダウン。
 赤木氏は一見非常にラジカルですが、その奥に弱虫で臆病な
「子ども」が見え隠れしています。他の2人からしきりに「こんな
いい人だとは思わなかった」と言われているあたり、やっぱり
「嫌な奴」に徹しきれない甘さがあるんでしょうね。論文のなかで、
「それでもやはり見ず知らずの他人であっても、我々を見下す
連中であっても、彼らが苦しむ様は見たくない。だから訴えている。
私を戦争に向かわせないで欲しい・・・。」なんて言ってるのも、
自分の行動を「~させられる」としか捕えられない「子ども」の心性です。
 杉田氏から「その、『苦しむ様を見たくない』という視点を、目の前に
いる自分の親に対して心からごまかしなく言えたときに、赤木さんの
ステージがあがるんじゃないか」と言われて、彼は「なるほど」と答えた
きりですが、きっと内心は動揺していたと思いますよ。
「謝ってもらいたい」というのも、本当は「親から」なんですよね。
そこんとこちゃんと向き合いもしないで、センセーショナル
な論文書いても、きっと彼自身はどうにもならない。多くの人たち
に向かって物言うならば、そこは気づいてからにして欲しいですね。
 冒頭に書いた日経紙の「蟹工船」論文を読んだのは
深夜でしたが、そこにも赤木氏の名前が出てきてちょっと
びっくりしました。随分注目されているのですね。
 彼は、ロスジェネ創刊号の論文で、例の秋葉原事件に対する
意見を述べているらしく、「フリーターとして上昇カーブを
描けない時に、それを何とかして変えようとするなら暴力的な
手段が不随してくるのは当たり前のこと」で、「そもそも人を
踏みつけにしておいて今度は逆に踏みつけにされた側から
反撃をくらうこをを考えていないとすれば、あまりに考えが甘い」
と言っているのだそうです。
 氏の大嫌いな「全共闘世代元左翼」のかなりんから言わせれば、
「お前に『甘い』なんて言われたくない」ってところですね。
もっとも「親」への攻撃が「世間」に向かい、そこで怒りがどんどん
消費されてしまえば、氏が本物の自分の「怒り」に気づくことは
ないでしょう。全てを社会のせいにして、「~してくれない」という
ルサンチマンに凝り固まって、自分の心の奥底に何があるのか
見ることをしなければ、本当に「闘う」なんてことはできやしません。
 「フリーター論争」の2.「この生きづらさをもう『ないこと』に
しない」と題する座談会では、「フリーター問題」なんて、女性たち
はもうずっと闘ってきた、ということが語られています。
「大卒の男がコンビニでバイトして初めて『問題』にされるなんて
おかしい」と。このことは「蟹工船」論文にも触れられていますが、
座談会の方では、「ホームレス支援」などに関わる男たちが、
個に戻った男女の関係性のなかでは途端に旧態然とした
男尊女卑意識を持ち出す、という告発があります。「これって
私達の頃の学生運動のなかにもあったよね」って思い出しました。
「女は二重に闘わねばならない」という状況は、本当にいつになっても
変わらないのですね。
 この場合も、闘うべき敵は外側にではなく、男たちの自己意識、
或いは無意識の中にあるのですね。こうした個の「内なる敵」と闘うのが
本当は一番難しく大変なんです。世代もくそもない、そこには常に
「自己の問題」があるだけです。
 フリーターやニート関連の活動家たちは、ともすると「何でも
心の問題にすりかえる」とカウンセリングを非難しますが、
「心の問題」を何かにすりかえている場合も多いということにも
気づいてもらいたいものですね。
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